「用のある奴が来ればいい。
わたしからは行かない。」
これはアワのノリなんだね(笑)
先を読んで動かない。
自分から営業しない。
大いなるわたしとパートナーシップを結んだことで、わたしに必要な全てはリアルとして注がれる。そういう認識でわたしはリアルを受け容れられている。
だから不幸や危機が不幸や危機として知覚しなくなる。
わたしにとって必要なリアルしか注がれていない。わたしの本質を発揮するために必要なリアルしか注がれてない。
こう捉えるわたしがずいぶん増えてきて、勢力が反転したようです。
わたしの中のサヌキメッキが剥がれたので尚更でしょうか。
新しい世界観でのリアルの捉え方。
いままで「悪い」と捉えていたものが全て「悪くなくなってしまった」からもう世界がまるっきり異なりますねぇ。
とはいえ、旧世界観を採用している勢力もわたしの中にあるので世界を二重に知覚してる感覚ですね。
でもメインはもう新世界観。
悪・罰・罪という概念がない世界。
なので、投影されるものにも悪・罰・罪をほとんど感じません。
感じてしまったら、湧きあがったらつどしっかり感じきって昇華します。
わたしの中に悪・罰・罪という概念が薄れれば薄れるほどわたしの世界に悪・罰・罪が注がれることがなくなります。
わたしが求めないリアルは注がれないから。持ってなければ求めようがないから、投影しようがないんですね。
理屈は簡単なんですね。
とてもシンプルです。
ただ長年抱えてた思考癖でもありますし、己のこの思考回路を疑おうなんて思ってなかった人は疑うことからスタートになりますよね。
これからの時代は気づきのスピードが凄く早くなってる。わたしはそう実感しています。
スタートしたら、スタートすると決めたら気づきのリアルがじゃんじゃん注がれちゃうんでしょうね。
先を読んで動くのが上手だと思い込んでいたわたしのサヌキ性のその思いあがりを実感させるために、今回の危機は訪れました。これはわたし自身が望んでいたリアル。
顕在意識のわたしにはその企みを知覚できないので焦り恐れ不安が満載で大パニック。
それでもどこかで「大丈夫♪」という自分も知覚できてたので、ビビりながらこの危機的リアルを受け容れました。
「先を読んで動かない/何もしないわたし/リアルに対して働きかけないわたし」を体験しました。
結果、「先を読んで動かない/何もしないわたし/リアルに対して働きかけないわたし」でいいんだ。ということを体験できました。
先を読んで動くことの方がいまのわたし、これからのわたしにはムダな動きになるんだ。
これらを知ることができました。
これはいまのわたしの段階でのサトリです。
わたしに注がれるリアルはわたしだけのもの。わたし専用のスペシャルブレンドなリアル。
それを受け容れ飲み干し全身を満たして味わいきることがわたしの仕事であり、味わった結果湧きあがった想いに対して行動する。
受け容れないと本質・心が求める行動ができない。
頭で先を読んで行動してしまうということは、リアルを受け容れない生き方。
注がれるリアルを無視して、頭や自我やサヌキの思考回路である損得のみで動くということ。
心を無視する動き方。
アワは動かない。
待っている。
口を開けて待っている。
【注がれることを知っている存在】
ただ、今時のアワは外側にソレを求めてしまってる。
誰かが注いでくれる。
誰かが救ってくれる。
誰かが助けてくれる。
それをただただ待っている。
サヌキ的発想だと引っ叩きたくなる存在ですよね(笑)
だから思いあがってたサヌキなわたしも己のアワ性を不甲斐ない奴だと卑下してました。
でもこれは外側ではなく内側に求めるものだから。
誰かではなく「大いなるわたし」がわたしに注ぎますし、救いますし、助けます。
内側とのパートナーシップが投影されて世界を創ります。
アワは外側フォーカスしてたらただの無能者なのです。内側の大いなるわたしを信頼できてないアワほど世間的に無能な存在はいません。
アワ性を発揮して幸せに満足に生活できてる人達は宇宙的に生活できてる人達です。
自然と宇宙を信頼して生きてるスタイルはアワの質を発揮できる環境です。
世間的には残念なオトナ。
わたしもその1人です。
「わたしはうまくやれている。」
そう思い込んでたサヌキメッキを被っていた時ですら客観的にはやはりダメなオトナでした。
アワのノリは内側フォーカスで発揮される能力。
それに気づけたアワからすでに能力を発揮している。
損得ではなく心で生きるというスタイル。
外側ではなく内側フォーカスで生きるというスタイル。
本質に還っていいんだ、という安心感。
アワ性を発揮してもいいんだ、という安心感。
わたしらしさをフル発揮してもいいんだという安心感。
もう頑張らなくてもいいんだという安心感。
とても嬉しくてとても幸せで、
そーいったことをしみじみ実感しています。