いまはまだまだ日々の内観で精一杯なんですが、やはり「考えをまとめで発信したい」という野望が芽生えました。

アワの在り方は「心重視」で生きるスタイル。

ネットでは身体や心を重視する生活スタイルに切り替えてる人が増えてきています。
そのスタイルを発信している人達の、そのスタイルを発信してる人達の「在り方」に惹かれ自分もそう在りたいと内観・実践に励む人達。
ムーブメントですね。


わたしはずっーっと1人で人間について、精神や心や病について、宇宙について、神という存在について観察・研究してきました。

いまは色んな人達が色んな考えや思いを本やネットで発信してくれています。
そんな発信を拝見するたび、孤独感が癒え、勝手に仲間意識をもってホッとできます。

わたしは文書を組み立てるのが下手だし、詰め込むだけ詰め込んだ情報がちっとも整頓されておらず頭の中が混乱しているせいか、筋道を立てて文章を構成することができません。


話もそうですね。
大量の情報や経験や知覚したものがちっとも整理整頓されていないためか、いっぺんに出てきてしまいがちで。

さらに「知ってほしい!理解してほしい!という欲」が強すぎてたせいか先方の許容量をはるかに超える情報を一度に与えてしまいがちという癖がありました。

これじゃコミュニケーションは成り立たない。セック スも成り立たない(笑)


欲が強すぎてました。
それがたとえサービス精神からでも「受け手の受容量を超えるもの」を与えていては双方にとってエネルギーの無駄使いになる。

そんなとこで疲弊してるくらいなら気持ち良いことにエネルギーを使う方が世界全体のためになる(笑)


強欲は悪くないんです。
強欲のベクトルは内側(内宇宙)に向けるものなんですね。
強欲を外側に向けては疲弊するだけなのです。

強欲は内側へ。
在り方と愛だけを外側へ。

助けて!は内側へ。
助けて!を外側に向けてたから疲弊する。拗ねる。拗らせる。

欲しい!は内側へ。
欲しい!を外側に向けて誰かにやって欲しい!にしちゃうと疲弊する。拗ねる。拗らせる。

白馬の王子様を外側に求めると疲弊する。待てど暮らせど現れない(笑)

白馬の王子様・パートナーシップを結ぶ相手は内側にいました。

わたしと大いなるわたしで築くパートナーシップ。
内宇宙とのコミュニケーション。
内宇宙とのセック ス。

わたしと大いなるわたしとの関係性。
これが投影される世界になるわけですね。

大いなるわたしは全て惜しみなくわたしに注げる存在です。
白馬の王子様そのものですね。

ん?
そしたらその状態で投影されるものは…愛と歓びばかりになってしまうようですね。
これが五次元的ってことなんでしょうかねぇ?確かに世界観がことなっちゃうなあ。


内宇宙を無視する生き方から、内宇宙とともに在る生き方。

特にオンナは内宇宙とパートナーシップをしっかり結ぶ必要があるのでしょう。そもそもオンナはそういう存在として造られてると想えます。

内宇宙をパートナーにしているオンナ(アワ)のもとにサヌキが集いアワのためにサヌキ性を発揮する。

オンナがオンナらしく在るというのは内宇宙としっかりパートナーシップで結ばれている状態のことなのでしょう。

縄文時代やそれ以前に地球上で体現されていたライフスタイルだったのではないかな、と想えてます。


しかしこれからの流れは「昔に還れ!」ではないとも想えてます。


サヌキ時代は悪じゃありません。
サヌキ時代を体験したことはムダじゃないと想えます。

アワを鍛えるにはサヌキのハタラキが必要でした。アワがアワなだけならただの感受性が強いだけの拗らせ系。どちらかというとうっとしくてじとーっとした厄介な人になっちゃう。

全ての体験、経験はムダじゃない。
アワを鍛える必要があった。
そういうことなのでしょう。

心の時代、アワの時代。
わたしは新しい時代のアワ性の発揮スタイルを体現していく。

そして「その辺りの知恵を整理整頓して文章としてまとめて発信できるわたしを目指す」という野望が生まれました。

情報カオスな状態のわたしがいることには気づいていましたが、なぜ情報カオス状態になっているのかについて気づけました。悟れました。

整理整頓が下手なんですが、必要にせまられてるってことはこれはやり終えることになるんだろうなあと想えてます。

大いなるわたしとのパートナーシップを築くスタイルを取り入れてからは、以前のような抵抗や反抗心がほとんど湧きませんね。大いなるわたしには勝てないwと諦めてるからでしょう。

だから、エネルギーの無駄遣いをせずに済んでラクちんです。(笑)