自我とは地上で蔓延ってる社会的システムや社会的概念を採用し、それに則って生活しようと尽力します。

採用した社会的システムや社会的概念を材料にして内宇宙の中で立派な城を築きました。

しかし、その城は隙間だらけです。
その隙間からは内宇宙の風が吹きこみ、自我の城の中に居ても内宇宙を感じることができます。

内宇宙は広大でそこには「全て」が在ります。無いものがありません。
そして自由です。
そもそも自由だった場所に城という制限を創ったのは自我です。

自我は他者からその知識を得ました。
その知識を採用して材料にし城を創りました。


自我の城の存在に気づき、そこから出たわたしはいま広大な内宇宙の自我の城のすぐそばのココにいます。
わたしの自我は城の中にいます。
わたし達は繋がっています。
城の内側と外側にわたしがいます。

わたしは知覚します。
広大な内宇宙の存在を。
わたしは内宇宙のココにいる星のような存在で在りながらも、内宇宙そのものでもあります。

それと同時に、わたしは地球上で生活している肉体で在り、その肉体を動かしている魂でも在り、その肉体にフォーカスしているマインドでも在ります。

たくさんのわたしが居ますが、どれもわたしです。

自我の城を出たわたしは自分が宇宙の一部であり宇宙そのものでもあることを実感していました。それはものすごい万能感をもたらしました。


いま、その万能感を地上に在るこの肉体でも感じてしまってるわたしがいます。

繋がってしまったんですね。
宇宙と肉体がダイレクトに。
まあ、もともと繋がってはいましたが。
意識の上では切断されていたこの2つがしっかり繋がってしまいました。

肉体は宇宙でもあります。
宇宙は肉体でもあります。

このことは3月に入ってから感覚のうえでは理解、実感していたのですが…
今日、体験してしまいました。

「あー 存在がシステムを超越するとシステムは無効化されるのか。」

可能性としてはあることを理解してましたが、やはり体験すると慄える。
地上にいながら宇宙規模で存在するってのはこういうことなのか、と慄いています。

常識的にはあっちゃいけないこと、が可能になってしまうのが「地球上に宇宙規模で存在する」ということ。

地球上で内宇宙を展開している状態。
それは奇跡が日常ということ。

肉体と宇宙が繋がってしまった。
これは統合を意味するのだろうか?
どちらにも同期できるわたしはいま「どちらとも同期しているわたし」になってしまっている。

いま慄いてます。
しかし時期慣れるのでしょう。


なにこれ、ほんとビビるわーっ!!
ほんとどうなっちゃうのよわたしは。