本当に内宇宙感覚は楽でいい!
自我の城の中と、そこを飛び出した先にらある内宇宙とでは快適さが雲泥の差。
自我を外から眺められることが精神的にも肉体的にもすごくラク♪
「自我の大騒ぎ」から物理的に距離を置けるのってこんなにラクだったんですねぇ。
昨日の日中、わたしは自分が相当器のデカい「愛の人」なんだということを実感しました。
正直、わたしはこんなにスケールのデカい存分だったのかと驚きました。
わたしが封印していたわたしはとてつもないスケールの「愛の人」でした。
以前のわたしなら受け容れない事実でしょう。「まさかねwww」となかったことにしたでしょう。
そんなことがあっては困る世界に居たから。
だから抵抗も凄まじかったです。
表にだしてはいけない存在、危険な存分、本気でそう捉えていたからです。
愛の人はキリストとかテレサとかマリアとかそーゆー特別視して隔離される存在にされてますが、人は総じて神性・仏性を携えて地球上にいます。
しかし現代社会では「愛の人」をフル発揮したい自分を抑えて、封印して生活することを社会的概念を通して強要してます。
誰もが「愛の人」であることを隠蔽してた時代。
どうやら時代が変わり、前時代で封印してたものが解放されるようですね。
わたしも解放することになりましたし。
封印してきた自分の本質を解放するのだと決断した人からどんどん解かれてゆくのでしょう。
気づいた人から解いていく。
解いた人から自身をフル発揮していく。
フル発揮された人の振動に共振する人々。
自分の中の「愛・神性・仏性」を共振させた人は自分の奥の存在に気づき自分を解いていく。
こーゆー流れがあるように感じます。
すでに「愛・神性・仏性」を発揮してる人達がいます。
一昔前なら「覚者」なんて呼ばれた人なんでしょうが、やはり時代なのでしょうね。しっかり地に足ついた日々の生活の中で歓びと愛を最大限に震わせている、というスタイルの方達が増えてますよね。
生活と目覚めを切り離して捉えるのは時代遅れなのでしょう。事実、わたしは時代遅れな捉え方をしていましたし。
こんなスタイルがあることを認めないわたしが居ましたし。
「二極化する。」
最近よく目にする文章でした。
以前とは捉え方が変わりましたが、でもやっぱりそうだろうなぁと思えます。
「苦、貧、病という状態」の人達と「楽、快、愛」の人達との二極化。
中間層が消える、という流れ。
いま現代「楽、快、愛」の状態の人達の殆どは、この状態になる直前に「激しい苦、貧、病という状態」を体験しているのです。
この二極化とは「統合」される直前の状態。そう捉えるようになりました。
もうこの世界には希望と愛しかない。
そんな風に捉えられてるわたし。
こんなに変わってしまった自分に驚くとともに、こんなにスゴイ自分がわたしの中に在ったことを誇りに想ってるわたしがいます。