このわたしとは「チームであるわたし」のことです。
三位一体のわたしのことですね。

自我が創りあげた狭小世界では、流れてくる現実に対峙して「できること、できないこと」と判断を下す世界でした。

流れてくる現実を自我視線でみて対応できるかできないかをジャッジする。

結論から言うと、流れてくるリアルは自分の成長を促すリアルです。
だから受けいれないと成長できないです。

この成長とは霊的成長、肉体的成長、精神的成長のことです。
三位一体の存在としての成長を促すものです。

だから逆らわなければ、抗わなければラクなのです。
でも霊的成長のことなんて顕在意識では理解できないから抵抗したくなるのは当然なのです。

だから抵抗してもいいのです。
むしろ抵抗する時代は必要だったのです。いままでは。
これからは変わるかもしれませんね。

流れてくるリアルに対して「こんなことわたしにはできない!無理無理!」と言っていたわたし。

または、受け容れてるフリをして、対応してるフリをして「やっぱりわたしには無理でしょ。」と諦めてるわたしがいたり。

前者は拒絶。成長の拒否。
後者は拗らせたスネですね。
どーせわたしは…ってやつ。

人は成長する変化することがデフォ設定な生物なので前者の拒否はエネルギーの無駄遣いでしかないですが、その事実に気づくまでは拒絶する行為を楽しんでみてもいいんです。

拗らせたスネは厄介ですね。
中途半端な受け容れは「被害者意識」を生みだします。

強要されたから引き受けた。
こう捉えてしまうと被害者になれます。
そして被害者であることを強く強く実感する為のリアルがやってきます。
いまの被害者な在り方に絶望するまで。

中途半端な受け容れよりは拒絶の方がきくらかラクなのでしょうかね。
幼児はよく拒絶しますしね。
そのうち周囲が無理強いしなくなりますし。できないことを選び続けると孤立しますね。
ひきこもりやニートはこの方向のハタラキでしょうかね。

あ、これはわたし自身が孤独耐性があるからラクかもと思えるだけかな。


成長段階で「中途半端にしか受け容れられない状態」を創り出してしまってる現代社会のシステムが被害者を増産しています。
便利な社会になるほどに被害者はすさまじく増えてますね。

いずれ飽和するんでしょうね。
満ち満ちたら決壊します。
決壊は悪いことじゃありません。
死ぬことも悪いことじゃありません。


被害者の増産とは真逆の方向で自由人が増産されています。
それがこの時代なんですね。
そして常に全体ではバランスがとられているものなんですね。


「わたしはできる!」は自由人の世界観です。自覚の有る無しはともかく、自由人の世界観で生活してる人が増えてきています。

わたしは自分が自由人であることを知っていましたが、自由人として生活できてない環境を嘆いてました。自由人で在ろうと尽力してきましたが、必ずどこかで被害者意識がありました。

被害者意識があると自由人にはなれません。自分自身の人生に、自分の生き方に責任を持てないと真の自由を得ることはできない。

そんなことを理解、実感できました。
全責任を引き受けたとき「わたしはできる!」ことを理解しました。
これからどんどん実感していくのでしょう。