わたしの身体にいまアンテナが2本たっていて流れくる現実を1本は「旧世界観」で受信しており、もう1本は「新(本来?)世界観」で受信している。
いまそんな風に捉えています。

旧世界観のわたしは絶望していて、新世界観のわたしは歓びをあらわにしています。

なんとかしたいわたしが絶望し、ラクしたい(本質に戻りたい)わたしが歓喜しています。
諦めてくれた方が新世界観に沿う形なのでしょう。

昨夜は自分のなかにものすごーく幼稚な概念があることに気づいてしまい…悶絶していました。中年になってもまだそんな幼い概念を握りしめてる自分がいたことがとてもとても恥ずかしく思えたからなのです。

そしてその概念を凝視していました。

わたしはここ数日とても怖がっていました。怯えていました。
その一方で、とても歓喜に満ちていました。

nowなわたしはご機嫌です。
怖がり怯えているのは過去のわたしです。旧世界観のわたしです。
新世界観のわたしは歓喜しています。

昨日は、噴きあがる恐怖を知覚しては感じきり排泄を促していました。ずいぶんと長い時間かけても恐怖はまだまだ噴き出します。
こんなに長い時間噴きあがり続けるのは肉体意識優勢になってからはじめての体験でした。

途中で何度か気分転換はしてはいたのですが、それでもフォーカスすればまだまだ噴きあがる恐怖。
その量に正直うんざりしてしていたようなんです。

帰宅してからやけに両親の存在が気にかかります。両親の存在を知覚するたび怖いー!怖いー!と騒ぎだします。

え?
両親が怖いの?

両親に近づいてみると「怖いー!怒られるー!ぎゃー!」と騒ぎだします。

怒られる???
なんで44歳にもなってる大の大人のわたしが怒られなきゃならないのさ?
理不尽に怒られたら怒りかえすけど?
70近くの年寄りに怒鳴られたってわたし怖くないし?
なにを怖がってるんだ?

疑問におもい凝視しました。
そして、とてもびっくりし赤面しました。
『親に怒られたがってるわたし』がいたことに気づいてしまったからです。

まぢかー!!!とのたうちまわっておりました。


確かに昨日は苦しかったのです。
噴きあがる恐怖に満たされていること、排泄をどんどん促してもやむことなく噴きだす恐怖。

肉体意識優勢になり感情の排泄にも慣れてきていたわたしでも、この量はさすがにきつかったようなのです。
午前中から排泄にフォーカスしていて、夕方になってもまだ噴きあがる…どれだけ続くのか先の読めない展開にうんざりしてしまっていたようです。
こんなに時間がかかるとは思ってるなかったですしねぇ。

◎先の読めないこの展開が嫌になった。
◎疲れた、早く終わらせたかった。
◎先の目処がたたない状況がつらい。

こんな風に捉えたわたしがいたようです。

わたしは肉体で感じきることしか溜め込んだ過去のおもいは昇華できないことを理解しています。
だからとことんつきあう気でおりましたし、やるからには早く出しきれるよう努めました。

しかし、それを辛抱できないわたしがいたのでしょう。早く出しきりたいという欲がわたしを追い詰めたようです。

なんとかしたい、それで絞り出されるように現れたのが「親に怒られて親にケツ拭いて貰っちゃおう」というわたしでした。
「怒られれば済む、後は親がなんとかするだろう」

…びっくりでした。衝撃でした。
そんなこと今まで思ったことなかったから。
でも居たんですねぇ…。
なぜ居たのかはまだわからないのですが、居たことは事実です。

こんな稚拙な… こんな無責任な…
親にケツ拭かせるって… そのために怒られようとするとは…
あー びっくりした。


悶絶するくらい受け容れ難かったのですが、受け容れられました。自己受容。

古い時代のか?今世ではないのか?
他者の概念の受け売り?
わたしのじゃない感満載だったんですが、でもわたしの中に在るんだからと…丸呑みごっくん。

受け容れてしまえば、認めてしまえば対応できるようになるので。
自己受容できれば、認めてしまえれば、こんなわたしもいるのねうふふ、で済ませることもできるからラクなんです。

これはわたしじゃなーい!
こんなのわたしじゃなーい!
と、抵抗すると…それを認めなければならないようなリアルが押し寄せてきますしね。その方が厄介で面倒くさいということが体験からわかってしまってるし。
なので早々に丸呑みごっくんしてます。


搔き回されすぎてさすがにフラフラしてきてますが、楽しいです。