どこか遠く(未来)で湧きだしたものが眼前に現れ(現在)そこで湧き出たものと共に通り過ぎてゆく。湧き出たのに我慢したことにより流れてゆかないものはそこで蓄積する(過去)。
「いまのわたし」「未来のわたし」「過去のわたし」は重なって存在してます。
そのためなのか、各々の認識がごちゃまぜになってしまう時があります。
お金に対しての不安や恐怖がよく湧くのですが、これをいまの自分の感情だと捉えてしまう時がまだあります。
しかしこれも慣れの問題で、日に日にその違いがわかるまでにかかる時間が短くなってます。
いまのわたしは「フラット(ニュートラル)」です。
なにが起こるかわからないしなにが起こっても受け容れる、といった在り方。
いま現在を、たのしー!綺麗!面白い!悲しい!眠い!だるい!つらい!と細切れに堪能してます。
未来のわたしは「なにが起こっても大丈夫」といった在り方。
過去のわたしは過去の体験を味わい続けてる存在。そこに「時」は流れてません。だからネガティヴ体験をネガティヴ体験のままいまだに体験しています。
ポジティブ体験は…過去のわたしには無いように感じてます。いまのところ。
わたしは仏教でいうところの地獄とはこの「過去のわたし」のことかなと捉えてます。いまのところ。
過去って流れてないのです。
流れてゆかない場所なんです。
だから過去なんです。
過去へ流してしまわないように想いを「いま」で昇華(排泄)することが1番スムーズな流れなんでしょうね。
過去(地獄)は留まる場。
我慢するものは過去に留まります。
我慢しないことは過去(我慢)に流れ留まらないですむということです。
我慢が蓄積する場が過去であり地獄です。地獄という場にいるわたしの想いはどんどん発酵し「発散→(留まる場の)崩壊」というハタラキをします。
キレて暴れる。噴火。噴出。
場が崩壊した為、溢れでた過去の想いや概念。
たしかにスッキリはしますが、その被害は甚大で罪悪感も自責の念を抱いてしまう行為。
噴火は身体が保身の為にやむなくやってる行為。やらなくて済む行為。
我慢するという行為は己の中に留まり場(過去/地獄)を創る行為。
噴火は自分の思考回路を見直すチャンスと捉えられれば、噴火をしない生き方をみつけることができます。
循環をスムーズな生活をする。
とてもとても大切なことなんですねぇ。