ハイブランドのバックを購入し、すごくときめいている様子を投稿していたブログを拝見しました。
そのときめいてる姿が愛らしく、また購入されたバックも素敵で興味を惹かれました。これ可愛いなぁ♪
すると不穏な呟きが聞こえてきました。
「皮製品は手入れや管理が大変。わたしは管理が大変な品物は要らないわ!」
え?
このバック嫌いなの?要らないの?
「好きだけど。欲しいけど。手入れできないもの。大事に扱えないもの。だから要らない。」
好きなのに欲しいのに要らないの?
「わたしは物の扱い方が雑だからすぐ汚すしすぐ壊す。どんなに良い品でも高級品でもハイブランドでもそれは変えられない。良い品だからという理由で扱い方を変えることができない。だから良い品は要らないの。壊してしまうし汚してしまうから。大切にできないから要らないの。」
良い品や高級品は嫌いなの?
あったら嬉しくないの?
「好き。とてもときめく。でも大切に扱えない。壊してしまう。壊れると悲しい。だから要らない。」
だから要らないっ!??
そのだからは使い方おかしいってばよっ!!
言い分を聞いていて愕然としました。
「壊すから…汚すから…」これは子供の言い分です。44歳の女性の発言ではありません。
わたしのハイブランド・高級品・良品に対しての捉え方とは、壊しては汚しては母親に叱られ罪悪感を抱いた子供の頃のわたしのままだったのです。
絶望しました。
ああ素敵ねぇ♡とときめいても、この子供の頃の設定がときめくわたしを諦めさせようと大声で警告するのです。
いままでなら「おっと、そうだったそうだった。わたしには管理できないんだったね。忘れてた。」とサクッと諦めていたのでしょう。
肉体意識メインになっているいまだから警告とは受け取らずに済んだのでその設定を凝視することができたのでしょう。
そんな子供の頃の設定をこの年まで持ち越し続けてきてたことに、そんな設定を持ち越し続けてる自分をこの年まで気づけなかったことに深く深く絶望しました。この年までなにやってたんだわたしは、と。
先日のお金の設定といい、今回の高級品の設定といい…古い設定を古いまま持ち続けることの恐ろしさをつくづく実感しました。
古い設定のほとんどは子供時代に作られます。親や先生、周囲の大人の考え方をそのまま取り込んでいることが多いです。
それが悪いわけではなくて、その設定を見直すことを怠っていた自分に絶望したのです。
それは「いま」の自分を無視し続けていたという事実でした。
自分自身をみつめることよりも、自分自身を見直すことよりも、別のことに気も時間も費やしていたのだという事実に驚愕し絶望したのです。
わたしはわたしをこんなにも放置してしまっていたのだ、と。
他者が子供じみた言い分、言い訳をしている姿をたくさんみてきました。この人ずいぶん古い設定のままだなぁ(笑)などと思ったりもしてたのにっ!!
……ああ、恥ずかしい。
なんて恥ずかしいことを考えてたんだろうわたしは。穴があったら飛び込みたい。
他者のふりみて我が振りなおせ。
わかっていたつもりなのに。
わかっていたつもりだけだったんだということも知りました。
ああ… あああ… 恥ずかしい。
情けない。かっこ悪い。ちょろい。
もう…orz
とことん落ちていきます。
落ちてゆくことを抗いません。
落ちきったら浮くことをもう知っているので。
ああ… もう…
わたしのばかっ!