いま、わたしの内側には「争い」がありません。なので投影されているリアル(眼前で展開されている現実)で行われてる「争い」を争いとは捉えません。

批判や罵倒も、批判や罵倒とは捉えません。
他者の世界観(価値観)を否定しませんし、否定する必要性を感じません。

わたしとはなにか?を理解・実感できると、わたしではないものをきちんと認識することができます。

リアルはわたしではありません。
リアルはリアルです。
わたしとリアルが交わる部分が「いま/now」です。
わたしのいまの「状態」です。
いまここ、はわたしとリアルの接点だと認識しています。

「状態」でしかないものをわたしは「それである」と捉えてしまう。これがリアルとわたしとの癒着。
そんな風にわたしは捉えます。

貧乏なわたし
高血糖なわたし
悲しいわたし
つらいわたし
これらはすべて「状態」です。

貧乏な状態のわたし
高血糖な状態のわたし
統合失調状態のわたし
不安神経症状態のわたし
恐怖症状態のわたし
鬱状態のわたし

貧乏なわたし、病のわたしと捉えてしまいますと、貧乏や病を体験し続ける思考回路を形成しようと尽力します。
宣言してますから。設定されちゃうんですね。

この仕組みを理解し、実感するごとにリアルとの癒着が剥がれていきました。
わたしだと思い込んでたのはわたしではなく、過去の状態を自己設定にして引っ張り続けているという行為でした。

いまのわたしとは異なる設定を無理くり続けているのでつらいし、違和感満載だったのです。

過去の状態という服をいまのわたしに無理矢理覆い被せている。そんな状態でした。

やっと窮屈でカビ臭い重苦しい服を脱ぐことができました。
とてもとても爽快なのです。

ビンボーな状態の時にビンボーに甘んじてるわたしを訝しく思うことがありました。
病に負けない!と戦ってるわたしを訝しく思うことがありました。

なんでいつまでもビンボーしてるの?と。
なんでいつまでも病でいるの?と。
その遊び気に入ってるの?と。
それ楽しいの?と。

あれは肉体意識の声だったんでしょうね。

ビンボーも病も「わたし」ではないので、その状態から離脱することは可能。
なんとなくそんな気はしてましたので実践し、それは本当だったと実感しました。