あー。
なーんだ。
誰もが皆、本心から他者を責めたいと思ってるわけじゃなかったんだ。


攻撃性をあらわにしてしまう自分を許せませんでした。

その攻撃性がどのようなハタラキから現れるものなのかを理解・実感し、そんな自分を受容することができましたらば、
攻撃性をあらわにする全ての人たちをも受容することができたのです。

これはとても嬉しいことでした。
心底、本当に心底ホッといたしました。

あー よかったなぁ。
もうこれで誰も憎まないで済む。
もうこれで誰も恨まないで済む。
もうこれで誰も責めないで済む。
もうこれで誰も殺さないで済む。

わたしが憎悪という概念を排出できたのは人間の感情のハタラキを理解、実感できたことと、自分の本心・本質を無視しきれなかったからではないかなと思えています。

誰かを責めながらも「誰も責めたくない」という本心を認識していたわたし。
絶対殺す…と殺意を抱きながらも「誰も殺したくない」という本心を認識していたわたし。

相反する想いが在ることを、自分が矛盾を抱えていることを無視しきれなかった。封印しきれなかった。棚にあげるこたができなかった。
そんなチョロくてダサいわたしだったから、この矛盾がなぜ在るのかについて興味を持てたのでしょうね。

立派な大人とは、矛盾をきちんと封じることができる人なんだと思い込んでました。言動が矛盾している自分を棚にあげて他者を責めることができる人なのだと思い込んでました。

立派な大人にならなくてはこの社会で生きてはゆけない。
そんな思い込みがありました。
…ウケる(笑)