本堂横の松の芽ほぎをしました。
3年前、大屋の浄宗寺さんが教えてくれたのです。春に松の芽ほぎするといいよ、って。
今年もそのことを思い出しながら、芽ほぎしました。
浄宗寺さんは器用だから庭の剪定もご自分でなさるのです。ログハウスや風車まで作っちゃう。
自分はそんなに器用ではないけど、松の芽ほぎはなんとかできる。小さな松ですからね。

松のようやく出てきた新芽を摘みながら、坊守が草むしりするときいつも「ゴメンね、ゴメンね」って呟きながら雑草を摘む、ということを話してくれたのを思い出しました。
こっちの都合で雑草にされた草たちに「ゴメンね、ゴメンね」坊守はそう呟きながらむしるんだって。笑いながらその話を聞いていたなぁ。

今日はそんなことも思い出しながら、松の芽ほぎをしました。ホント、何も知らず何も考えずにいることの罪は深くて重いですよね。

この辺りでは「お聴聞」のことを「角ほぎ」って言っていたそうです。お寺にお聴聞にいくとき、角ほぎに行こうよ、そう話しながらお寺へ向かったのだそうです。もう今は昔のことだけど。
「角ほぎ」いい言葉ですね。大切にしたいものです。

広島仏教学院の中村英龍先生は、よく講義で

「無慚愧」は名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす

という「涅槃経」の言葉を親鸞聖人がご本典に引用されていること。そして「慚愧」ということについてお話し下さいます。

「慚」は自らが罪を作らず、「愧」は人に罪を作らせないこと
「慚」は自らの罪を恥じ、「愧」は人に自らの罪を告白すること
「慚」は自らを人に恥じ、「愧」は自らを天に恥じること
これを「慚愧」という

明日から3日間、広島の真宗学寮の広済会で中村英龍先生のご法話がお聴聞できます。

今日は芽ほぎしました。
さて、明日から学寮に角ほぎに行きましょう。
なまんだぶ