この世に生かされて…①コチラ

の番外編です。


ほっこりダークなお話なので

何度も書くのを止め、保存してました。

読みたい方だけ読み進めてくださいね。







私は大分市で生まれました。

52才の父と30才の母から

一人っ子として生まれました。


父はたまにしか家に居ませんでした。

父は医師であり、院長であり

いつも

ポケットベルで呼ばれてました。


何より

父には

別に正式な家族がいました。



だから

たまにしか父はいませんでした。

たまに匂うヘアトニックの匂いが嫌いでした。

お友だちのお父さんのように

スポーティーで遊んでくれる訳ではなく

スーツきてるかステテコ姿のオジサンで

いつも疲れてる父の姿。。。



私が誘拐された時に

駆けつけてくれる訳でも

その事に触れてもくれませんでした。

あとでわかったこと。

誘拐を指示したのが父の本妻だったのでした。

たくさんの嫌がらせは、ここ発信なのでした。



母は私と違って

おめめがパッチリ二重で

勉強もスポーツも出来

学生時代マドンナ的存在で


母の同級生から

「○○ちゃんの子どもなのに、あら似てない残念だねぇ。おかあさんはあんなに可愛かったのにね。」

そんなことをよく耳にしていたのもあり

父に似てることがとてもイヤでした。





父は

私が10才の頃に

福岡の自宅でおきた火事で

亡くなってしまいました。



私は直前まで家に居たんです。

しかも喧嘩別れで

私は泣きながら

お気に入りの服のネクタイを結んでもらい

「居なくなっちゃえばいいのに。
死んじゃえばいいのに。」

って心で呟きながら

2件隣のいとこの家に行った

10分、20分あとに

「火事だ!」

とマンション中が大騒ぎに。。。




消防士さんに

「誰か家に居ますか?」って聞かれて

咄嗟に

「みんな出かけていない

犬だけがいます!」

って答えてしまった私。



それで消火する時間に変わりなかったのかもです。

でも

愛犬の最後の鳴き声を聞き

間に合わなかったことを知るのです。



私のせいで

愛犬も

父も死んだと思いました。

私が殺してしまったんだと思いました。


父が

愛犬は押入れの中へ避難させ

台所に倒れていたこともあり

そこから逃げずにいたことで

自殺だとも言えたのです。



私は

それを前々から感じていたはずでした。


亡くなってからわかったことですが

ガンを患っていた父。

医師である父はわかっていたはずです。

私はそれを感じとり、わかっていたはず。

だからこそ

私が父の苦しさを全部吸いとることが出来なかったことを悔い

軽はずみにも

「居なくなっちゃえばいいのに。
死んじゃえばいいのに。」

と思った自分を許せませんでした。




父が亡くなった直後も

母が可哀想だからと

祖母から

あなたはしっかりするようにと

言い渡されました。

「あなたが泣いては駄目」だと

泣くことも許されませんでした。

祖母が

亡き孫(父が違う姉)の遺影に向かって

「あなたは良い子で頭も良かった。」

と涙するところも

私はもっと良い子にならなきゃって

強くならなきゃ

守らなきゃって思っていました。



その後

火事の臭いが忘れられず

夢にも苦しむのでした。

私は

煙たいだけで無意識に不安になり

台所が焦るところで

落ち着かないところとなりました。

火事があると野次馬になる姿に苦しさを覚えました。




父の遺体は

本当の家族がいる大分へ…。


そのときは

何故お葬式に参加出来ないのかも

何故学校の先生から遺産相続の話を聞かれたのかも

何にもわからない

無垢な私なのでした。



父と母が結婚していないことを知ったのは

小学校5年生の神戸旅行したときでした。


私はこの時に

いろんなことが繋がりながら

複雑な気持ちになりながらも


母を責めることもなく

笑っておちゃらけて

「ドラマみた~い」って言ってみたら


母が

「言って良かった。あなたは大人だからわかると思ってた。」


私が大人である必要があるんだ…と

全てを無かったことに

しようとしました。


全てを無かったことにもしたかったのです。



でも

私がいると

皆が不幸になるんだと

自分を責めることだけは

止めませんでした。



私さえ生まれてこなければ…

常に思ってました。




母からも

「あなたさえ生まなければ…」

を何十回何百回と言われたことか。。。



物心ついた時から

生きていても

苦しさばかりだったので

『なぜ人は生まれるのか』

『なぜ人は死ぬのか』

『人はどこからやってくるのか』

『死んだらどうなるのか』

『どんな死に方が楽か、綺麗か』



そんなことばかり考えていたり

人のエネルギーを敏感に感じとるからこそ

人との距離感や

遊び方を知らなかった

幼少期から中学時代でした。

※そんな中学時代に、タロットカードに出会ったことを
昨日の『ボイジャータロットBasic講座』で
思い出しましたよ羽根左



父が私を愛してくれた思い出はなく

父は私を認知するまでに

1年の空白があることにも疑問があり

私が生まれたことを

本当に喜んでくれたのだろうか?!

そんなことを

思うときもありました。


父に聞くことも出来ないし

母も私が生まれてきた時の話は

あなたが傷つくから話したくないと

話してくれないので…(↑余計傷つきますが…笑)

真相はわかりません。






とはいえ

今の私は

自分の人生を切り開き

人生が楽しくて仕方ないので

ここに生かされていることに感謝なのです。



ですが

ここにきて

久々の怖さの中にいるのです。


全て上手くいってることもわかっているし

私はこれから祈りの世界に踏み込もうとしています。


だからこそ

今やってきているのかもしれません。


この怖さが。。。


終わっている感じでしたが

まだ本気で自分自身を許せていないようです。

息子とのことも

結局ここなんだろうと感じるところ。


わかってはいましたが

この先に進むためのステップとして

向き合うところが表面化してきましたね。


つづく

『もっといいことある?』





気づかなかっただけで
父もわたしのことを
こうやって愛しい眼差しでみていたのかもしれません。