どうでもよくなってきた | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

母の気にいる様に

部屋を整え
着替えを用意して
献立を考えて…
 
そんな毎日の中
例えば、
便が出ないので主治医と相談して
お薬を調整したり

爪が巻き爪になってきているので
切り過ぎず、テープを挟むことを試したり
 
眠剤を飲んで夜中や朝方に
トイレに
転倒してはいけないから
眠剤の種類を
変えてもらったり
 
書ききれないほどの
細々とした母のケアを
やってきたつもりだったけど
 
母に良かれと思ってやったことも
いくら説明しても
母は自分の主張を
なかなか変えなくて
なのに不調は訴え続ける
 
一生懸命説明をして
最後はけんか腰に話をしても
嫌な思いだけがいつも残る
 
 
良かれと思ってしている事なのに
どうしてそんな風に
受け取るのだろう?
 
誰がそんな面倒な事をして
誰が得になると言うのだろう
私のためにしてるとでも
思っているのだろうか?
 
母が怒る理由がわからない
 
もうこの頃は
「この薬(新しい慢性便秘のお薬)のせいで
便が水みたいになったから飲まない」
といえば
 
一応は
「こっち(以前から)の薬の量で
調整するのがいいんよ」
 
とは言ってみるけど
それでも母が引かなかったら
もう、好きなように
してくれればいいと
思うことにした
 
新しいお薬のお陰で、
年末からの頑固な便秘が
やっと週に2〜3度出るように
なっていたのに
2〜3度柔らかい便になったから
それのせいだという
 
飲まなかったり
量を減らしたりして
おまけに寝る前の○ーデルを飲まずに
寝てしまったりも重なって
 
ここ1週間出ていない
 
もう
「介護なんてされてない」
「あんたの世話になんてなってない」
「自分でなんでもできる」
「あんたは好きなように毎日遊んでる」
 
シラフな時に言う人の
摘便なんて絶対しない
 
ふと気がつくと
 
母の気にいる献立も
心から母に食べてもらいたい
母が喜んで食べてくれたら嬉しい
 なーんて気持ちは
もうとうに無くなって
 
文句言われず
機嫌よくしててもらいたい
との思いで作っている自分がいる

何なら気に入って食べるだろうと
考えて考えて
しかもトーストを乗せるお皿まで温めて
出すほどの気を使って
用意をしても
滅多に美味しいの言葉は出ない
それどころか
薄いとか硬いとか
何か一言二言ダメ出しが入る

ゆで卵はかなりの半熟に
白身も柔らかめに
とかね

美味しいと言ってもらうために
果物も切らさないように
自転車で走る

それでも
汁気がなかったわとか
あんまり甘くないわ
とかね

時々美味しかったと褒めてくれるけど

もう、やめよう
気に入らなかったら
食べないでくれてもいいや

必要以上のことに
自分の時間や労力を使うのは
もうやめよう
 
こちの言うことは
聞かないで
自分の思うようにするのだから

だんだんと
どうでもよくなってきた
 
そんな気がする