諦める | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

子供達にはもちろん

主人にも母との色々な出来事や

私自身の母に対するしんどさについては

ずっと話してこなかったけど

 

ここ最近、全部ではないけれど

こんなことがあった

こんなことを言われたと

ポツポツと

話すようになった

 

子供達が大人になったということと

特に主人には協力してもらわないと

私自身が抜け出せないと

思ったからだ

 

母からの脱却と

母の介護の必要性の狭間で

ずっと

身動きが取れなかったけど

 

やってもやっても

満足は得られず

無理だなって諦めた

 

ここで母を喜ばせようとすること

母を満足させようとすることを

いくら優先しても

多分母の思いには届かないし

 

それこそ100%母に注がない限り

「介護なんてやってない」

「あの子は毎日好きなように出かけている」と

言われ続けるんだろうなって

そう思ったら

やっぱり無理だなって思った

 

いくら「あなたのお母さんは変わらないから

あなたが思いきらなきゃ」といわれても

「ハイハイって返事して聞いといたらええねん」

といわれても

私自身そう思っていたつもりでも

 

実際のところ

結果的には納得しなくても

一生懸命、母には丁寧に説明をして

理解をして貰おうと

言い訳と言われても

現状を理解してもらおうと

思っている自分に気がついた

 

だから「遊んでる」といわれたら

いかに自分がそんな時間なんて無くて

どんなことに時間を割いているのかを説明したし

 

例えば土曜日のヘルパーさんのお迎えと

夕飯のことについても

 

母がショートステイに行かない代わり

私と主人が家を出て母から離れる時間を

作ろうと

前回の私の入院後に決めたじゃない

 

と、しゃかりきになって

説明しようとしてた

 

母が「あんたらばかり毎週外食して!!」という言葉に

何も外食が目的ではないし

ごちそうを食べているわけではないと

躍起になった反論してた

 

でも、理解なんてできないし

母にはする気も無い

 

だからもう止めることにした

 

「そうかな」

「そうやね」

この二言で

 

回避できる嫌な思いは回避しよう

 

最後までよくやってくれた

とか

幸せだった

とか

口には出さなくてもそんな思いで

送れたらと思ってきたから

 

ここに来て

20年間の私自身の辛抱が

水の泡になるのがいやで

もう少しもう少しと思って頑張ってきた気がする

 

でも、無理だと諦めた方が

楽だと思った

 

娘が言った

「ママはまだ、おばあちゃんに説明して分かってもらおうと思ってるけど

それはもうどんなに頑張っても無理だと思うよ。

認知も入っているし『そうやね』っていいながら

ママの思うように過ごしたらいいやん」

 

て言葉が

妙にストンと胸に落ちた

 

私が母に「分かってもらおう」と期待することで

分かりたくない母から発せられる

嫌な言葉が私を辛くするし

それをまたブログに書いたり

人に愚痴ることになる

 

私がのれんのように

母の言葉を流せれば

母への恨みも悪口も無くなるのかも

しれない

 

私の期待が

母の人格を貶めているのかもしれない

 

母に認めてもらうことをあきらめて

嫌われることを恐れないで

やってみようと

思う

 

それでも多分

傷つくような言葉や

そこまで言う?と思うような

情けなくなるような言葉が

母の口から出るかもしれないけど

 

でも、流してみよう

できるだけ

 

ここ最近昼夜逆転気味の母は

認知機能も急降下していて

 

困ったこともあるけれど

少なくとも精神的には

母に向かうのは楽になっている

 

いつ覚醒するのか

せずに徐々に落ちていくのか

それは分からないけど

 

「そうやね」作戦は

やってみようと思う

 

今回がラストチャンスだから