母との関係 1 | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

たくさんコメントを頂いてるのですが、
とりあえず書けないで
溜まっているブログを先に
書きたいと思います。

また、まとめてお返事しますね。

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在宅介護を難しくしている理由に
やっぱり私との関係が
あると思う

1つには、デイサービスや
ショートステイの拒否
という
物理的な要因もあるのだけど

もう1つには
一人っ子で、母ひとりで
小さい頃から育てられて

知らないうちに

親の顔を色を見て
嫌われない様に
母が幸せである様に
なるべく逆らわず
気を回して

そんな癖が身について
日々の生活を
私自身の生活を
しんどくさせているのだと思う

結婚して
主人が私の姓を名乗ることも
そうするものと
思っていたけど

はっきりと頼まれた事や
その事について
ちゃんと向き合って
話をしたこともなかった気がする

だから同居を決めた時も
祖母を見送って
母が1人になった時に
誰がそうしたい
といった訳でもなく
そうするべきと思っていた

主人が今になって
いったいなんで同居することに
なったんやろ?って  笑

そのときの母の年は
今の私と
1つか2つしか変わらなくて
まだまだ元気だったのにね

私は健気にも
母と同居して
家事一切を引き受けて
母が自由に伸び伸びと暮らして
くれることを
願ったのだ

しかも、疎外感や
寂しさをなるべく感じない様に
間取りも
一生懸命考えてしまった

孫を見ることや
家事を頼むことを
極力避けて
自由に暮らしてもらっていた
つもりだった

私も3人の子育てと
フルタイムではない仕事
基本的には家事一切を
こなしながら

それでも留守をする時は
その頃からSさんを
時々お願いしながら
なんとか日々をこなしてきた

仕事は基本
子供のいない間にして
学校行事や何か時間がかかる仕事や用事
遊びも含めて
そう言う時には
必ずSさんをお願いして
母に負担がいかない様にした

母は、私や子供達との旅行には
必ず一緒だった

行くものと思っていたと思う

6人で住んでいる家から
母を置いて
「行ってきます」が
どうしても言えなかった

だから、母が行けるところ
母も行っても楽しいとろ 
そんな風になっていた

ちょっとした外食も
いちいち母が付いてきた
だから、食べるお店を選ぶのも
母基準が多かった

デパートに買い物に行こうと思ったら
「私も行くわ」と
付いてくる

白髪を染めに、パーマをあてに
美容院に行こうと思ったら
「私も長いこと言ってないわ〜」なんて
さすがについてこなくても
何かひとことふたこと言われた


次第にしたい事
出かけたいときは
母のいない時に

こっそり内緒で

というのが当たり前になり

母がお稽古に出かけたり
旅行に出かけたり
病院に行ったり

そんな時に合わせて
予定を入れるように
なった

お出かけ好きの母は
結構出かけてた

母は母で出かけ

私が出かけるときも母も一緒

だから一人でとか
母以外の家族でって
思う時には
それがいちばん簡単だった

母の腰が悪くなり、
荷物を持っては歩かれへん言われ

通院に付き添いが必要となり
買い物やお出かけにも
車を運転して母を乗せて
出かけるのが当たり前になり

母が1泊2泊の旅行へ行く時にも
泊まるところへ荷物を送り
待ち合わせ場所まで母を送り迎え

片側の大腿骨骨折後は
何もかもが私の負担となった

それでも、お出かけも買い物も
減ることはなく
全てに私が付き添ってきた

徐々に、自由だと思っていた時間が
無くなって

そうして初めて
元々自由なんて無かったと
気がついた

「行くなとは言ってない」

何かがあると今でも母は言う

言われる前に、言われないように
してきたのよ

どこかの場面で
嫌な思いをしたのだと思う

母をどうしてもひとりにして
出かけるときは
よく母の友達のKさんに
遊びに来てもらった

母と2つ違いで独身で社交的なKさんは
空いていれば気持ちよく遊びに来てくれて
これなくても母と電話で話し相手をしてくれた

Kさんに泊まりに来てもらったおかげで
1泊くらいなら
出かけることもできた

もちろん母は元気なので、
杖をつきながらでも
kさんを伴って、買い物に行ったり
ご飯を食べたり楽しんでくれた

そうしておけば、
私は気が楽に出かけられた

そのKさんは、今でも元気に
お友達と出かけたり
お稽古に出かけたりと
毎日を充実させて暮らしている

とはいえ高齢になり、
自分のことで精一杯なKさんに、

自由な時間を母のために
使ってもらうのは申し訳なくて
この頃はもう、お願いもしていない

結局、昔も今も
母をひとりにしておいてはいけない
寂しい想いや退屈な思いを
させてはいけない
そんな思い込み?刷り込み?
そんなものが、私自身を
縛ってたことに

気がついてはいるのだけど