死んでもなお・・・ | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

友人のお母様が82歳で亡くなられました。

 

秋にはお孫さんの結婚式に東京まで行かれていたのに

急に癌が見つかって、抗がん剤も効かず半年あまりで

逝ってしまわれました。

 

友人とそのお母様の関係は

私と母のそれに少し似ているところがありました。

 

ただ長男夫婦と同居されていたこと、ご主人も数年前までは

いらっしゃったこと、

何より彼女は特急電車で2時間以上もかかる遠距離に

離れて住んでいたことが私とは条件が大きく違い

「それならまだ、いいやん。」って思っていました。

 

お母様が入院中は、病院と家を週に何日かずつ行ったり来たりし

最後は病室に泊まり込んでいたそうなのですが

義姉は「私は無理」といって

一度も変わってくれなかったそうです。

 

でも、お母様はお義姉様に気を遣い

周りの親戚の人たち

お見舞いに来てくれたお友達には

「ありがとう」と何度もお礼を言うのですが

娘にはとうとう一度も「ありがとう」と言わずに

逝ってしまわれたそうです。

 

それどころか、彼女が仮眠を取ろうと

簡易ベッドに横になるのも嫌がり

常に自分の見える位置に座っているようにと

言われたそうです。

 

看護師さんに娘の名前を「綺麗な名前ですね」と褒められて

「この子は名前負けしてしてるんです」と

言った言葉が生前にはっきりと話した最後の言葉だったと聞き

彼女の寂しさが伝わってきてジーンとしました。

 

もうすぐ四十九日ですが、彼女は

寂しいとか悲しいとかいう感情以外に

すごくもやもやした感情が残っていると言います。

 

「ありがとう」も言わずに

逝ってしまわれて、彼女の存在価値が消されたような

とうとう最後まで認めてもらえなかったような

そんな感覚だと思います。

 

すごくわかってしまう・・・

 

やってもやっても母にとって娘のすることは

足りないことはあっても充分なことは無く

当たり前すぎて「ありがとう」さえ言えない存在・・・

 

自分の存在価値を知らしめるには

母を置いて先に死ぬしか無い・・・

知らなかったけど彼女も私と同じ思いを

持っていたらしい

 

死んでもなおその存在に囚われている彼女に

自分の姿を見る気がしました。

 

冷たい娘は

母がどういう最後を迎えてくれたら

自分自身が一番納得できるかを

一生懸命考えています・・・