たまには別の話を・・・ | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

たまには母のことを離れて
SMAPの話を書こうと思いながら
パソコンにゆっくり向かえないでいると

なんと、さっきの報道で解散は回避とのこと

ずっとお茶の間ファンで
もていたCDもベスト盤だけ
ドラマもオンタイムでは見れてなかったけど

50歳過ぎに大病をしたときに思った
死ぬまでにしたいことの中に
SMAPのライブに行きたい!
っていうのがありました。

何でやろう~
たぶん、ずっと好きだったんだと思います。

東北大震災の救援で発売されたアルバムには
元気をもらえる曲がいっぱい入っていて
母のことで泣きながら運転しているときに
どんだけ彼らの歌で慰められたか
わかりません。


阪神淡路大震災の時には
番組で歌う歌を急遽変更して
「頑張りましょう」を歌ったのは彼らが22歳の頃です

そして今でも毎週自分たちの番組で
東北大震災の義援金を訴えています

当時見れなかったテレビドラマも
TSUTAYAで大人借り(?)して
見ました。

「ビューティフルライフ」も
さんまさんと共演の「空から降る一億の星」も
アイスホッケーの「プライド」も
見てなかったのを
一気見しました。

で、どんどん好きになり
とはいえ、介護の身であちらこちらのイベントや
番組観覧に参加もできず
2年に1度のライブだけは何とか行きたいと
思っていたし
今年はその年なので
もし当たったら母をどうしようかとまで
考えていたのに
え?無いの?
解散?

って、ホントがっくりでした。
2012年のライブと時は
母の友達に泊まりに来てもらったけど
今年はもう無理かな~
やっぱりショーとかなぁなーんて思ってたのに?

こんやのSMAP×SMAPの中で
自分たちの口で話してくれるそうです

何にも趣味も楽しみも無かった私に
ちょっとはるる♪に戻る時間をくれる存在

いつまでも
踊れなくても歌えなくなってもいいから
わちゃわちゃとSMAPでいて欲しいです。

でもね、ちょっと心配はあるんです。

彼らを育てたマネージャーさんが辞めること

それで無くてもちょっとSMAPは可哀想な歴史を歩んでます。

後輩グループは華々しくハワイでデビューして
華々しく10周年もハワイで迎えたんだけど

SMAPはデビューは遊園地のプールサイドでした。
20周年は震災もあり華々しいことは何も無く
今年が25周年・・・

他にも待遇にすごい差があるんやけど
大丈夫かなぁ~
なーんて
きょうはちょっといつもと違うこと書いてみました。

それからもう一つ

スキーバス旅行の事故の話
次男の高校時代の友達の幼なじみさんが犠牲になられたそうです

前途ある若い命が消えてしまうのは本当に辛いし
ここまで育ててきた親御さんの気持ちを考えると
何とも言いようが無い

同じ命なのに
命の不公平さを考えてしまいます・・・