5連休 | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

5連休も折り返しとなりました

昨日は娘が「ママご飯いかへん?」と誘ってくれましたが
母を食べさせてから出ようか、連れて出ようか悩んだあげく
お総菜を買い出しして家で食べることになりました

ケーキも買って、孫代表で敬老の日を
形ばかりお祝いしてくれました
感謝です

母は、娘も孫もみんな自分の周りに居てくれることを望みます
私は、みんなが楽しく過ごしてくれることを望みます

もし連休中子供達が、
行くところも無く会う人も無く、
もし、この家で過ごしていたら
めちゃくちゃ心配です

でも母は自分のそばに居ることが一番嬉しいんです

弱ってきた今だからではなく
ずっとです

視点が自分なんです

自分が幸せかどうかなんです
子供や孫に囲まれて幸せな自分でいたいのです

私だって親ですから
子供達が顔を見せてくれるのは嬉しいし
たまには一緒に出かけたいとは思うけど
子供達が子供達の世界で充実した生活を送ってくれていることが
喜びだし幸せだと思うのですけどね

だからこの5連休
私がなんの予定も無く母と居ることに
なんの疑問も持ちませんし
今日なんて
「ちょっとはここに座って、ゆっくり話しようよ」とか言いながら
母の部屋の椅子を勧めてきます

「いや、ご飯の間中しゃべってたやん」
と、お断りしました

私は娘で無く家政婦に徹していますからね

だいたい
「いちいち私の言うことの逆らうな」
と言うような人と
話はしたくないし

どうせ、昨日の老衰のテレビみて
最後まで家でみろと
念を入れる話だろうと思うので
お断りです
吐き気がします

友達や主人や長男から
あちらこちらの景色の画像が
LINE で送られてきます

携帯の音が鳴ると
母が「何?」と聞くので

「あっちこっちから友達が写真送ってくれるねん。
今年は全国お天気がよくてきれいな写真やわ~」

と、言いますと
母も
「みんな出かけてはんねんね。あんたはいけなくて悪いね」
と一応は申します

「どこでもいっといでや」
とも言いました

行けないのを見越して言ってます

母の友達が来てくれている隙に
娘とお総菜を買いに出たことすら
「あの子はなんぼでも出かけてる」
と思っています

頭も回るしお金も握ってる
いつでも来るよって言ってくれる人もいるのだから
本当に1日くらい私を解放させてやろうと思ったら
自分で人を頼んで

「明日は○○さん来てくれるから、ゆっくり買い物でも行ってきたら?」

と言えるはずです

もうずいぶん前に気がつきました

私が楽しいとか幸せとかを
母は願っていないってことは

だから私は自分のために
いつも少しの自由を作るために
私が頭を下げて人にお願いして段取りして
罪悪感たっぷりに出かけないと行けないのは
本当に疲れました

多分、今回の母の「痛い痛い」が無くても
どこにも行く予定は無かったし
多分今と同じか
下手すると
母とのお出かけで時間が過ぎていたかもしれない

縛られているのは母の病状では無く
母自身なんだとつくづく思います