食事の時も少しみんなと食卓につけた(座れた)し、
家の中は手すり持ちつつも、
ほぼ自由に動くようになってきた。
ほぼ自由に動くようになってきた。
まぁ、元々訳のわからない痛みが主訴で
調べ倒してなんとか見つけた骨折なので、
それが原因だったとしても2ヶ月経ち、骨癒合が進んだのか…
それが原因だったとしても2ヶ月経ち、骨癒合が進んだのか…
と言う訳で、デイリハの話が無くなったことと
私をさらに縛り付けることを得て
ほぼ、心臓手術前の母に戻ってきた
この1ヶ月の騒ぎはなんだっただろう・・・
喜ぶべきことかもしれないし
確かに介護そのものは格段に軽くなったけど
私の時間が戻った訳では無く
絶えず母の顔色を伺う生活が戻ってきた
で、早速
「ちょっと○○デパート、10時に行けば
入り口すぐに車を止めれるやろ?
行かへん?」
ときた
ん~、このまままた母の術中にはまるか
こんな事も出来るようになったと
自身を持たせた方が
私が楽になれるのか・・・
悩んだ末に
お連れしましたよ
無事、家の階段も降り
車にも乗り込み
デパ地下を30分ほど歩いてきました
杖と私の腕を持ってですが・・・
凄いです!
これなら次は
△△デパートにも行こか?
「行こか?」
と聞かれたら 「NO!」です
言うのなら
「連れてってくれるか?」
やろ?
一時はもうあのまま全介護の体制に
入らないと行けないと
思ってた
夜中のトイレや
身の回りの全介助
その代わりデイやショートも利用してもらうか
それに変わる何かを
本人にも考えてもらおうと
思ってた
それと比べると良しとするのか
それとも今までの長い長い戦いが
いや、
今までよりもっと強力な鎖に繫がれた生活が
さらに5年、10年と
続くのか・・・
母が回復するとともに
心は重くなってきた
それでもまだ母は
ダメ押しのように呟きます
「あと1~2年、辛抱してや
私が死んだらなんぼでも
好きにしたらいいから・・・」
ある時は
「もうちょっと頑張ってくれたらよかったのになぁ~」
この、「もうちょっと」っていうのは
自分が死ぬまでのもうしばらくという意味で
もう何年も前から
「もうちょっとやったのに残念やったな(辛抱が足りんかったな)」
と言う言い方を
しょっちゅう言われてきている
え?私、頑張ってないの?
しないといけない時
しないといけないことは
一生懸命やってきたし
同居してから、
特に母がひとりで出かけなくなってから
したいことの1/4も
やってないよ
子育てが一段落ついて
少しだけ自分たち夫婦の時間って
思うことも
許してくれなかったからね
これ以上、何を辛抱して何を頑張れば良いの?
365日、24時間
母が「今」って思ったときに
なんでも言うことを聞く存在であれって?
このまま人生諦められないなら
やっぱり向き合うときが来たのかな
向き合えなかったら
もう終わりにしたい