母のその後 | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

夜中に救急車で運ばれた母は、
血圧の低下と心房細動があり
心臓の機能が落ちて、
突然死もありうる状態
だったようで
担当医からは
「いざという時には人工呼吸器を
どうするか決めてください」
と、尋ねられた。

家族も母自身も延命は拒否と
ずっと言っていたが
あまりに性急すぎて
「もう結構です」とは言えなかった

母はHCUに運ばれて、
本人の望まなかったモニターや
点滴、導尿といったチューブに
繋がれていた

漠然とだんだん弱っていって
なんらかの医療的補助が
必要になった時に
「それはもう、要りません」
という場面を想像していたので
こんなに急な容態の変化には
そんな判断はできなかった

まだ、延命ではなく治療だから
そんな選択は不可能だった

翌日も、モニターが示す値は
心臓が良くない状態であることを
示していたけど、
夕方頃には少し落ち着いて
とりあえずの危機は脱したように
思った

母の命の危機が迫った時には
「このまま逝かれてしまったら
母に対しても、母が私に対しても
いやな感情が残り後悔してしまう。
もう一度ちゃんと、
お世話をしてから見送りたいから
元気になって欲しい」と、
願っていたのに
危機を脱すると
「これで母は私を縛り付ける
決定的な切り札を手に入れちゃったな」
とも思ってしまった

どちらの気持ちも、
私自身の思いが先行して
どこまで自分中心なのかと
情けなくなった