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人生はアートとか言ってみたい

まだ20年ちょっとしか人生送ってないのに、とある場所で付いたアダ名は不幸番長…
え、私ってそんなに不幸なの?笑
確かに座右の銘は《人生楽より苦ばっかり》なんですけどね。
そんな私の過去と現在を文字に起こしたら、少しは何か変わるかな。なんて。

父親に送ってもらい、山形から一週間ぶりに帰省すると、家の前に知らない車。
なんか、キャンピングカーみたいな車だった気がする。
でも、あまり気にも止めず玄関を開けると、知らない男の笑い声。

嫌な予感がしながらも、茶の間の扉を開けた。

おかえりなさい!
と、まず弟が。続いて、母。
そして、知らない男がまるで自分の家のように寛いでいました。

またか、と思ったけど、とてもショックだった。
なんだそれ。と。
裏切られた様な気がしたんですよね。

でも、前の人とは違い、人当たりの良い人でした。

そして、母から紹介を受けた。
長野から2週間だけ、こっちにいるみたいだから、家に泊めてあげてると。
中学時代の先輩なんだ。と。

そう聞いて、少しホッとしました。
長くいるわけじゃないんだ。って。

そして私も、娘です。と一応頭を下げると、一生忘れない言葉を言われました。


いつまで、ここに泊まるの?


と。
意味が全然分からなかった。
だって、ここは私の家だから。
泊まるって何?と聞くと、母は焦ったように、こう言った。


ここもあなたの家だもんね。


と。

母親は、この男に、私は父親と一緒に住んでると説明していたのです。
何故かは未だに聞けていません。
聞きたくもありません。

私は、涙を必死に堪えて、疲れたからもう寝るね。と自分の部屋にこもりました。



この時、私はここに居てはいけないんだと、本気で思いました。
母親は私と一緒に暮したくなかったんだ。
邪魔なんだ。
と。

ここから、私の性格が歪んでいきました。

家に居たくない。
この時ほど、部活をやっていれば良かった。と思うことはありませんでした。
小4の時、少しだけバレー部に所属していましたが、弟の面倒を見なくてはいけない。というのと、集団行動が苦手な私は、部活がすごく苦痛だった。
だから、すぐ辞めてしまったんですよね。

だからとりあえず、この男がいる間は、父親の所へ戻りました。
弟も一緒に。
弟も、もう小学生だったから、色々理解し始めていたんでしょう。
自分から、一緒に行くと行ってついてきました。

父親の新しい奥さんを、私はお姉ちゃんの様に思っていたので、全て話していっぱい泣きました。
いつでも、来ていいからね。と優しく言ってくれた事がとても嬉しかった。

その男が長野へ帰ると、母親は迎えにきて、私達に謝ってきました。
とりあえず、家に戻りましたが、私は未だに母を許してはいません。


そして、また3人での平和が戻ると思った。
けど、それは甘い考えでした。
数ヶ月後、またその男はウチに戻って来たのです。
そして、事件が起こります。

その話はまた後日。

ではー