皆さまは大金持ちになったら、そのお金をどのように使いたいですか(^_^)?


 わたしがもしも大金を得ることができたなら、そのお金の使い道の一つとして、
「アニマル・セラピー」を取り入れている病院を設立したり、また何らかの形で支援をさせて頂きたいと思っています。


 と言っても、いつのことやらという話ではありますが(;^_^A



 これからするお話は、わたしが直接見聞(みき)きした訳ではないのですが、実際に関わり合ったかたからお聞きしました。一部メディアでも取り上げられたそうなので、お聞き及びのかたもおられるかもしれません。


 以前、脳梗塞(のうこうそく)によって寝たきり状態となってしまった男性がおられました。


 近年は脳梗塞についても少しずつ研究が進み、そのかたも適切な治療を受けることができたのですが、しかしそうは言ってもご本人のショックは大変なものだったようで、すっかり生きる意欲をなくし、リハビリも「こんなことをやったって、何になるんだ。俺はもう年寄りだ。こんなにひどくては元通りに治る訳がない」と思い、形式だけ受けているという状態だったそうです。


 しかし、たまたまなのか、それともその男性が動物が好きだったことを知っていたご家族の配慮なのかはわかりませんが、入院先の病院が、アニマルセラピーを取り入れている所だったのです。


 定期的にお部屋にやってきてくれるセラピー・ドッグに男性は目を細め、どうにかかすかに動く方の手で、わんちゃんの頭をなでようとしたのです。


 こういった病気やケガ関連にまったく関わりがないという読者の皆さまには、今いちピンと来ないという(かた)もおられるかもしれませんが、これは大変なことなのです。


 それまで生きる意欲をなくして、とりあえず言われたままリハビリを形だけ受けていたという人が、自発的に体を動かそうとしたからです。


 こういった「衝動(しょうどう)」は他者から押し付けることはできません。


 「ほら、わんちゃん来たよ。アナタは犬が好きでしょう。嬉しいでしょう。喜びなさい。そして、さわりたいと思いなさい」

と押し付けることはできないのです。「無感覚状態」といったような人はここを踏み込んでいく場合があるのですが、しかし人の心とは、不可侵の神聖な領域です。愛ある誘導はともあれ、押し付けるなどして結果をコントロールしようとしてもうまくいかないでしょう。愛と共感があればこの(あた)りの塩梅(あんばい)もつかめていくものです。


 ともあれ、この男性の中で、その瞬間にあったフォーカスは、部屋に来てくれたセラピードッグと自分の喜びだけでした。だから「なでたい」という衝動(欲求)が生まれたのです。これが「純粋な喜び」の例です。そしてこのような解説も本来は野暮(やぼ)なものです。しかし当ブログにおいては必要がありますので、野暮(やぼ)な解説を(まじ)えた話をもう少し続けます。


 このようにして、自ら「手を動かしたい」という意思が、少しずつ、本当に少しずつ、育っていった男性なのですが、ある時に「手のひらでなでてやりたい」と思うようになったそうです。


 拘縮(こうしゅく)により、わんちゃんの頭や体に触れるのが、手の甲や手首でしかできない状態だったのですが、「甲や手首ではゴツゴツして痛かろう(痛いだろうという意味)」と思ったそうなのです。


 こうして、セラピードッグを手のひらでなでよう、という、自分の心からの純粋な欲求を土台とした自分なりの(他者とは関係なく、自分にとって大切な、という意味)目標ができた男性は、運動療法士さん達のようなセラピストさん達のヒーリングを受け入れるようになりました。


 そしてある時、手のひらを下に向けることができるようになり、セラピードッグを手のひらでなでることができるようになったそうなのです。手首や肩などを痛めたりしたことのあるかたならおわかりかもしれませんが、この「ねじる」という動作は、動きに関する関節や筋肉がある程度柔軟になってこないとできない動作なのです。

 わたしはこの尊いお話を伺うことができて、万感の思いが押し寄せ、とてもありがたい気持ちになりました。


 ともあれ、これも「自灯明(じとうみょう)」である、とわたしは位置付けをしています。


 「自灯明(じとうみょう)」とは仏教の言葉なのですが、わたしは「魂からの喜びと一致した欲求」も自灯明(じとうみょう)のうちの一つであると定義しています。


 わたしがあちこちで「ご自分のその時々の本音や欲求を確認しましょう」と言っているのは、自分の欲求が自灯灯となり、自分を支え、そして真の喜びへと導いてくれるからです。


 ネガティブな欲求(や感情)の場合は本来の自分からずれているということを教えてくれますし、ポジティブな欲求(や感情)は、全魂(ぜんこん)一致の自分の使命(命の使い方)への方向を教えてくれるのです。


 「手の甲ではゴツゴツして痛かろう。手のひらでなでてやりたい」と、男性の胸に優しいけれどもはっきりとした「欲求」という(あか)りがともり、それを行動に移すことによって身体機能が回復していったのです。


 心がこのようになったかたは、例え今どんなに絶望的に見えたとしても関係なく、他の身体機能にも回復が見込まれるものです。


 松下幸之助さんも「なんとしても二階に上がりたいという思いが、はしごというものを発明する」といったことをおっしゃいましたように、心からの純粋な欲求こそが、自分の人生のスタート地点であり、また日々の支えになってくれるのです。


 わたし達も、迷いや悩みが生じた度に、「自分は本当はどうしたいのかな?」といったように、自分の心からの純粋な欲求を確認しましょう。わたしも一日に何度も行います。


 これは日常に起きる事態(じたい)が小さいと速やかにできることなのですが、現在そうでない場合は練習しましょう。


 日々起きる出来事が大きすぎたり、またそれほどではないけれどもよくわからない、という場合は、最初はノートに書くなどして自分の純粋な本音や欲求を自分で感じ取る練習をしていきます。するとやがて、一瞬立ち止まって自分の意識を内側に向けるだけで、わかるようになっていきます。


 今回の話も要点がいくつか込められていますが、複雑にすると長くなり過ぎますので、この辺りでやめにしようと思います。


 それでは、また・・・。