わたしがお伝えしている『自分らしい幸福のための全貌図』は、わたしが考えたものでも、まとめたものでもありません。


 チャネリングで「見えない皆さま」から受け取ったものです。

 

 



 

 もう何年前になるのか、
ある土地に行くようにと数々のシンクロニシティーが来て、「これは従わないといけないヤツだ。それにしてもなんでココ?」といぶかしく思いながらも準備を進めていた時のことです。


 突然、
「あなたは(そこに行く事で)サード・アイが開く」という意味のエネルギーが脳に直接届きました。この時は“声”ではなく、エネルギーでした。受け取ったエネルギーを同時通訳というか翻訳したのです。


 わたしは驚いて、
「え?もう開いてると思ってたんですけど」
と言ったのですが、しかし、確かにお導き旅に行くたびに、よりいっそうハイアーセルフ群やその土地の「見えない皆さま」がたと一致して行きましたので、今と比べたらまだまだ、という状態でした。


 ちなみに幼少期からずっと失わなかったもののうちの一つは透知(claircognizance;クレアコグニザンス)と呼ばれているもので、情報量が半端(ハンパ)なく、このおかげで周囲との軋轢(あつれき)がひどかったなどのために、以前にもお伝えしたように自分で憎んで否定していたのですが、透知も「受け取り」でチャネリングのうちのひとつです。サード・アイが半開き(?)だった昔でも透知などがとても多かったために「もう開いている」と思っていたのでした。


 話を戻しますと、こうして「お導き旅」に出たのですが、その土地の神々や精霊たちにごあいさつして、その土地のものを頂いて(食べてという意味)・・・と、嬉しく楽しく過ごしていたのでした。


 「特別なことは何も起こらなかったけど、これでホントにサード・アイが開いたのかな?」と思ったのですが、まぁいいやと気にしていませんでした。


 ただ、今にしてわかることなのですが、この時にわたしの自律神経系に重大な変化が起きていたのですが、長く、やや込み入った話になるのでここでは先を急ぎます。


 「お導き旅」から帰宅したわたしは、旅先での様々な出来事を思い出し、居間のテーブルの前に着席して、一人で感謝と喜びに満ちあふれていました。


 すると脳内に「ちょっと書いてごらん」という“声”がやって来たので、わたしは機嫌(きげん)よくハイハイと何も書いていない紙の前で鉛筆を持ちました。


 すると自動書記が始まり、“声”は「こうなってるでしょ。こうなってるでしょ」と言い、わたしは「ふんふん」と目の前の光景を眺めながらキャッチしているエネルギーの導くままに書き続けました。


 そして「なにぃ⁉」と、実際にびっくり仰天(ぎょうてん)で目をむきながら書き上げたのが、『幸福のための全貌図』です。


 皆さまに公開しているのはシンプル版で、もっと色々と情報がつまったものを受け取りました。


 それとオマケの話ですが、もう一つのブログ『重ための話』のほうで少しずつ書いている『虐待被害者のためのスピリチュアル入門』という記事の題についても、わたしが考えたものではありません。


 あれについても直接、脳内に“声”がやってきたのです。


 この時は“声”であり、エネルギーの翻訳ではありませんでした。


 それはある日、本当に突然のことで、その時わたしは台所付近で家事をしていました。特に機嫌(きげん)が良かったのでもないので、「淡々と落ち着いているだけでも受け取りはできることがあるのだな」という学びにもなりました。


 その時はとても、とても驚きました。


 なぜなら、当時は自分がスピリチュアリストであることを明かさず、心理学系統の解説だけで記事を書くと決めていたからです。


 それに「虐待」という重いテーマと「スピリチュアル」という、一般的にインチキでうさんくさいと(とら)えている人もおられるようなものを融合させることに、大変な心理的抵抗を感じました。


 「苦しみ抜いている虐待被害者の皆様に対して誤解をさせてしまいかねず、不謹慎(ふきんしん)ではないか」とすら思ったものです。これは叩かれるぞ、とも思いました。


 しかし覚悟を決めて、いざ“声”に従って記事を書いてみると、予想に反して、書いていて「とてもラクだな」と感じました。わたしの中に隠し事がないというような、気楽さのような感覚でした。


 スピリチュアル要素をまったく取り入れなくても、現在の地球の学識の範囲だけで記事は書けましたし、
またスピリチュアルとの出会いに対しても、そしてそれを隠して書くことも、「やましい気持ち」といったものはそもそも全くなかったのに、自分の中をエネルギーがいっそう抵抗なく、滞り(とどこおり)なくス~ッと流れている軽快さを感じました。


 そしてお読みくださる読者さまが現れてくださったのでした。(本当にありがとうございます!)

 
 以上、わたしにとって個人的に思い出深いチャネリング経験について二つを取り上げてお話しました。


 話を本筋に戻しますが、このような訳で、もしも『全貌図』の大切さがお伝えできていない場合、それはわたしの力量不足だということなのです(;^_^A

 
 今後もがんばって精進します(´ω`;)


 今日も明日も、みんなで自分の「見えない皆さま」と調和して、自分の人生を生き切りましょう!


 それではまた・・・(*´ω`*)


 (当ブログも『重ための話』も不定期更新)