例えどんなに「良きこと、美しきこと」であったとしても、未来は未来に生きている人々のものであり、彼らに「引き継ぎたい。残したい」と心から思ってもらえなければ、今を生きているわたし達にはどうすることもできません。
国に保護・保全をお願いして、公的な力を借りたものでない限り難しい、といったことも多いのかもしれません。
そんな現代を生きるわたし達が個人でできることは二つあります。
まずは、自分の両手の範囲で、自分がやりたいこと、できることに集中することです。
これには「他者もお誘いする。他者にも訴えかける」という「働きかけ」も含まれますが、強制はできません。強制や命令は相手からの「納得」がない限り反動を生み、中長期的に見て逆効果なのです。
もう一つは、自他を愛することです。
あなたの無条件の愛、無理のない、本当のあなた自身の愛を感じながら、他者と接するということです。
すると愛の共鳴が起こります。
一体誰に、何の共鳴が起こるのかはわかりませんので、一切期待したり、押し付けたりすることはできません。それらをやってしまっては、むしろ逆効果となるでしょう。
そのような条件付きの愛では、愛の共鳴は起こらず、ガマンや争いの種をばら撒くことになるのです。
自分のできることに集中し、そして見返りといった期待を持たずにただ自他を愛して生きていけば、もしかしたら「良きこと、美しきこと」を愛し、守り、引き継ごうと思う後人が現れてくれるかもしれません。
しかし、もし現れなかったとしても、一切の期待や執着がなくなるほどに自分が全力でやり切ったのであれば、多少のさみしさ等はあったとしても、おおむね自分の人生に満足できるものなのです。
自分の手を離れていることについての結果とは、しかたのないことで、「是非に及ばず」なのです。
とは言え「全てをあきらめましょう」と言っているのではなく、何らかの記録を残しておくことをお勧めしたいと思います。
記録を残すことは「自分ができる範囲」に当たります。
例えば自分史を残すことも、とても意味のあることです。自分の死後、ひ孫のような子孫や研究者といった他者が、必要や興味を持って読むかもしれません。
しかし肯定的な反応を他者に期待することはやめておきましょう。他者がどう思うかは他者の範囲だからです。
後継者がおらず、いったん途絶えたという伝統や技術、環境が、先人の資料を元に、後世の人の手により再現されて利用されるという例が、多くはないとしても、確かにあるのです。
写真や、
仕事や趣味であったとしても自分の知ったこと、
人生経験の中で学んだこと、
技術といったことでも、
イヤではない範囲、無理のない範囲で、
皆様の人生を、資料や情報として、何らかの形で残していただけたらと思います。
ではまた・・・。