1995年1月17日、午前5時46分──神戸市民にとっては忘れられない大災害、阪神・淡路大震災が起こった。
死者6434名、行方不明者3名、負傷者43792名──近年稀に見る大災害となった。そんな「忘れてはいけない」記憶が、風化しようとしている。なにしろ16年も経ったのだ。震災を知らずに育った高校生もいる。
その一方で、いまだに被災の苦しみ、悲しみを癒せずに、それでも前向きに生きていこうとする人々もいる。そして昨日も、震災で失われた命を弔う式典が、神戸のあちこちで行われた。もとはといえば、今や神戸の冬の名物となったルミナリエも、本来は鎮魂と街の復興を願って行われたものだったのだ。
そんな大災害の復興に、日本のみならず世界各地からボランティアが集結した。その中でも地元民に特に感謝されたのが、某暴力団のボランティアだったという。なぜか新聞もテレビもそのことには一切触れなかったらしいが。ま、暴力団のボランティアが一番きめ細かかった上に的確だったなんて、大っぴらに言えるわきゃねーわな。それでも、ボランティアという言葉の意味を考えれば、一般のボランティアよりずっと役に立ったのは間違いないのだが。何しろ、一般のボランティア連中というのはテレビに映るようなことばかりやりたがり、裏方にはほとんど興味を持たなかったというのだから。テレビに映って目立てればそれでいい、そんな連中ばかりが集まったって何の役にも立ちゃしない。「お前らいったい何しに被災地までやってきたんだ、ただ目立ちにきただけならさっさと帰れ」──こんなことを言いたくても言えないことだったろう。