どうも、星穹列車に乗って(意味:崩壊スターレイルをプレイし)カード占いをしては星空の寓話を解く女性(ブラックスワン)のために星玉を巡狩<集めて>して、クリスマスムードの高まる街並みを歩いて脳が焼かれて気分が下がっていたらいつも通り投稿が遅れたハローダです。


今回で8月5日に行った横須賀線駅巡り…もとい、横須賀線記を締めくくりたいと思います。もう12月になってしまいましたってマ?2023年もあと1ヶ月で終わりますかぁ…


東逗子の描写が映画のダイジェストCM並に簡潔になってしまって申し訳なかったです。今回は終点の久里浜までの4つの駅の解説と共に「横須賀線と戦争の関与性」について掘り下げて行きたいと思います。さあ、攻撃戦だ!


※この記事には第二次世界大戦に関する記述があります。苦手な方はブラウザバックをしてください



~深緑と洞穴に身を忍ばせる、隠者の駅~


JO04   田浦   1904年5月1日開業


この駅が誕生したタイミングは日露戦争(1904.2.8~1905.9.5)が行われていた最中で、戦争とは直接の関係は無いものの、駅の両端がトンネルに挟まれているという初恋の人と結婚をするレベルで大変希少な立地の駅です。そのためか横須賀線の駅の中では最も乗車人員が少ないです。



また、横須賀線の駅の中でNice Natureという言葉が似合う駅第一位レベルでの割合が高い駅だと思われます。こんな緑モリモリ森鴎外な駅から北西へ1.5kmも歩けば京急田浦駅に辿り着き京急線に乗り換える事が出来ますが、あまりにも離れているので、Wikipedia先生も乗り換えには適さないと言っています。もっと近い方でも安針塚(あんじんづか)駅で田浦駅から約1kmの南東にあるので、みたいにかなり歩かされるので、横須賀線から京急に乗り換えたい場合は前回紹介した逗子駅か乗り換え案内がある横浜駅品川駅で乗り換えましょう。


私鉄音痴なので乗り換えに関するどうでもいい話はいいとして田浦駅最大の見所を紹介します。それは…



(ドアが閉まっていますが)ドアカットです!


とは言っても11両編成が停車したタイミングが駅巡り中に起こらなかったので画像で説明が出来ません


先程も言いましたが田浦駅はトンネルにサンドイッチされており、そのせいで11両編成の列車くんはホームに収まらずにトンネルに頭または後部を突っ込みながら停車するという頭隠して尻隠さずなシュールな絵面を見れますが、乗客からすると軽い地獄です。進行方向から一番前の車両と前から2両目の第一ドアが田浦駅では取り扱われません。その旨を伝えるために11両編成の列車は田浦駅に到着する前に「田浦駅では、一番前の車両と次の車両、前寄りのドアはトンネル内のため開きませんのでお降りのお客様は他のドアをご利用ください」というアナウンスがかかります。外国人のためにも丁寧に英語版アナウンスも添えられています。


そんなステルス性能が高い田浦駅を後にし、次なる駅で「横須賀線」という路線名のタイトル回収、漫画やアニメでいうところの最大の盛り上がりを見せるポイントとなります。そう…



~軍港を束ねる、戦史に名を刻む基地の駅~


JO03   横須賀    1889年6月16日開業


この駅の存在をなくして横須賀線の歴史は語れません。何故なら路線名を冠している駅ですから。横須賀鎮守府ならびに多くの海軍関連施設へのアクセス向上を図って開設されました。1889年当時の日本の鉄道は横須賀線の開業を皮切りに、第二次世界大戦の終結まで戦争との深い関わりを持つようになっていきます。


1939年9月1日に始まったドイツ軍によるポーランド侵攻を皮切りに始まった第二次世界大戦の最中には一部の鉄道路線が不要不急路線として線路等の鉄部品・金属が武器生産のために供出されました。かつての東海道線とされていた御殿場線でさえ閉店詐欺を行う店みたいに不要不急と見なされ複線だった線路が単線になってしまいました。このときに東京都を走っていた荒川線以外の都電も金属供出のため駆逐され、これでもかと金属を武器(パワー)に変換して連合国に抗った日本軍でしたが、8月15日にポツダム宣言を受諾、敗戦を受け入れ終戦となりました。今で言うところの"終戦の日"です。


こうして5000万~8000万、或いは8500万人と人類史上最大の犠牲者を生んでしまった第二次世界大戦が終結しました。鉄道の被害も凄まじく、東京駅を初めとした数多くの鉄道駅・車両が被災し、国鉄を疲弊させました。


終戦後は被災した鉄道設備の復旧・復興が各地で行われ、鉄道の需要は戦後になって高まりました。日本は一時的に連合国軍の支配下に置かれ、戦火を生き延びた人は生きるための物資を求めて闇市に行くべく、同じ目的を持った人々が列車に張り付くように乗ったために現在のインド都市部での通勤ラッシュ並の激しい混雑となったようです。

鉄道と戦争の関係性をこれ以上語ると長くなってしまうのでここで打ち切ります。主軸に語るべきは横須賀線の駅ですから。



そして驚くようでお得なこの駅の事実を伝えますが、この横須賀駅には普通の駅にはよくある階段が一段たりとも存在しません!そんな高齢者にも子供にも優しいダイバーシティな構造をしているので「階段が一つもない平坦な、人に優しい駅」として1997年に「関東の駅百選」に選ばれています。

この駅は2面3線のホームで構成されていますが1番線は使われていないので実質1面2線の駅と言ってもいいです。タヒに設定みたいなものですがいつか使われる日が来るのでしょうか


かつては米海軍横須賀基地への引き込み線もあったそうです。軍備・防衛に余念が無いのが横須賀市らしいです。



また、横須賀市はインドとは違う方向性でカレーを推してくる街でもあります。スカレーくんのスタチュー説明文にもあるようにカレーは栄養をバランスよく摂れる食事であるからです(ぶっちゃけた話をすると横須賀鎮守府が同盟国のイギリス海軍が良く食べていた海軍カレーをそのまま横領しただけなんですけどね)。スカレーくんのモチーフは市のシンボル鳥「カモメ」です。


ちなみにさっきも「タイトル回収は作中で盛り上がるタイミングの一つ」と言われており、この横須賀駅は「横須賀線」のタイトル回収もしている駅なので豪華な駅だろうな?と思う人がいますが違います。むしろ横須賀市での繁栄は京急にぶんどられてしまいます(横須賀市の実質的な中心駅は横須賀中央駅で、横須賀駅の周りには横須賀中央駅以外にも汐入駅、逸見駅がある。)



こちらの駅舎は3代目で、1940年に建てられました。

スカレーくんのスタチューもしっかりと置かれています。

駅舎を撮影したのが13時過ぎなので天からの光が当たっています。神っぽいな。



駅から徒歩1分で辿り着ける公園、それがこの「ヴェル二ー公園」です。横須賀港に面しているため横須賀海軍施設や艦船を見る事が出来ます。名称は日本の近代化を支援したフランスの技術者「レオンス・ヴェル二ー」に由来します。



さらっと横須賀駅に関する怪文…丁寧な説明がされている看板が駅の出口に掲げられていますが、これは横須賀市制70周年を記念して作られましたものです。横須賀線建設の故由がここに書かれています。



~三浦一族の跡、海軍工廠の駅は夢想の中に~


JO02   衣笠   1944年4月1日開業


某戦艦擬人化ゲームでこの名前(駅名)を知った人は手を挙げよ。こちらは第二次世界大戦の最中に後述の駅まで延伸開業した、ボスの門番ポジションにあたる中ボスみたいな駅です。(衣笠駅を管理しているのは逗子駅ですが)


駅舎とホームは競馬場のパドックみたいな地下道で結ばれており、つい最近(2009年)にはエレベーターが設置されました。



駅舎は四つ窓を備えた味のある木造駅舎です。先述通りこの駅は1944年に開業したので翌年の終戦直前の一時期の間だけ当駅から横須賀駅の間に「相模金谷(さがみかなや)仮乗降場」という海軍工廠に通う客のための専用停車場が設けられていましたが、終戦の8月に存在意義<レゾンデートル>を失い廃駅になり、現在ではあまり語られぬ「幻の駅」となり見る影すらありません。


2022年度の乗車人員は7155人で、かつて(2001年以前)は1万人を超えていた時期がありました。この程度の駅ですが駅前には衣笠商店街や小規模なアーケード街があり、近隣住民等の方々に愛されています。


Topics:「衣笠」の読み方

横須賀線の駅は「きぬさ」と読みますが、駅周辺の町名としての衣笠は「きぬさ」と読まれます。横浜線/田園都市線の/こどもの国駅「長津田」の読み方を東急サイドが「ながつ」と地名に合わせたのにJRは1988年3月12日まで「ながつ」という読み方にしていた事例に似ていますね。"解釈"という言葉に無限の可能性を感じます。


何故か与太話の方が長くなってしまいました。おまけが本編というやつですね。もっと古いネタで例えるならウエハースより重要なのが付属のシールってやつです。



~横須賀線の終端に立つ、ペリー来航の地~


JO01  久里浜  1944年4月1日開業


こちらも第二次世界大戦中に開業したで、運輸通信省の要求によって開業しました。

歴史の教科書で黒船来航について学んだ人も多いと思います。この時に上陸した場所が浦賀か久里浜と割れますが正直どっちでもいいです。(と言っておきながら私は久里浜派を推します)



せっかく横須賀線の終端駅に来たのだからと言って私の掌が写真を求め疼いていたので山手線E235系のマスコットと一緒にスカレンジことE235系1000番台とツーショット写真を撮りました。


右にチラッと写っているのは横浜支社総合訓練センターで、まだ入りたての乗務員をビッグモー〇ーみたいに教育教育したり線路を保全するための施設として運用されています。訓練車仕様の209系もいます。


(こうして見るとホームの屋根が少なめなのが分かります。雨の日に降りる時は傘をさしてから降りてください)



駅舎は先程の駅を少しだけ立派にした感じで、駅から徒歩3分で京急久里浜駅で京急久里浜線に乗り換える事が出来ます。


ついでに久里浜駅に関する話ですが、JRの駅の方は後輩で、京急の駅が2年先(1942年)に開業しその際に大東急「久里浜(仮)」駅と名乗りました。1年後に駅を500m移設して「久里浜」駅が開業。その2年後に今紹介している方の鉄道省(今のJR東日本)の久里浜駅が開業し、大東急(今の京急)サイドはこの時に駅名を「湘南久里浜駅」と改称し、同じ駅名を名乗ってきたJR側との区別を付けました。その後大東急から解放された京急は1963年には「京浜久里浜」に、国鉄解体後の1987年には現在の「京急久里浜」と4度も改称が行われ、久里浜エリアの中心を担っております。JR狂の私からするとNTR1000回分のダメージを受けた気分なんですけどね



帰路は横須賀線の全駅に降りた自分のご褒美に冷涼なスカレンジのグリーン車に乗車して参りました。今年の夏は地球が湧いてるレベルの異常な程の暑さでしたね…なのでポカリスエット系統のスポーツドリンクを常備していないと熱中症になりかねない暑さでした。



これで横須賀線駅巡りこと横須賀戦記は終了です。なんだかんだあって投稿が遅れましたが無事に執筆が終わりました。


最近は地下鉄の通路を出口を求め異変を見つけたら引き返すゲームが気になるので、年が明けたらやろうとは思います。


あとコメントが来てないので何か書き込んでくださると嬉しいです。我がモチベーションとなります。