2000年前の哲学者達(その①) | 制限速度20~30km/h

2000年前の哲学者達(その①)

 最近、個人的に多忙な用事が続いておりまして、なかなか更新ができないでいたのですが、ここにきてやっと落ち着いてきたので、これからはガシガシと更新していきたいと思います(*^ー^)ノ

 …とサワヤカに行きたかったのですが、実は今、手元に民法の資料がありません。というのは、このブログの更新はいつも大学のほうでやっておりますので(アカデミックな雰囲気がないと、イマイチ集中できないから)、学校に法律用語辞典なんかを持ってくるのを忘れると、もうそれだけで民法の話題を提供するのは絶望的になります。スミマセン、そこまで勉強できないんです(´・ω・`)

 そこで今日は、手元にある成田先生の「哲学」の講義の資料を使って、哲学についてやりたいと思います。それも、多くの人が辟易するような近代の難しい哲学者の議論じゃなくって、それよかもっと大昔の、卑弥呼が生まれるさらに500年前くらいの時代に生まれた哲学者について、やさしくいろいろ話題を展開してゆきたいなーなんて思ってます。


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 知られている限り、世界ではじめて「哲学」が生まれた場所は、古代ギリシャの植民地であるイオニアでありました。もともと、哲学というのは「物事の根源的なものを探る」というあくなき探求というか、好奇心のようなものが始まりとなっています。arche(アルケ:根源)とは何か?これをひたすら探求し続けた人たちのことを、ここで紹介したいと思います。



 タレス(BC.625頃)


 彼は、万物の根源はhydor(水)であると考えました。絶えざる変化にある世界、この多様な世界、ないしは自然が、究極的には一つのもので構成されているのではないか、と。宗教によって人々の心に永く根付いていた宗教的な超自然的自然観、いうなれば神話的な宇宙生成物語から脱却し、経験的事実に基づく合理的な観照(theoria:テオリア)を行うことによって、ここに人間の知性は神話から解放されたというわけだなヽ(;´Д`)ノ



 アナクシマンドロス(BC.586頃)


 タレスと逆の立場でarche(根源)を探求したのが、アナクシマンドロスであります。彼は、多様なもののうちには互いに相反する性質を持つものが多く存在することに着目しました。たとえば、タレスが主張するhydor根源説ひとつとっても、水には「冷たい」性質の逆の性質として「熱い」があるし、「濡れている」の逆は「乾いている」。つまり、片方を否定するものは根源足りえない、と。よって彼は、「一なる根源」から「多」を説明することは難しいから、根源をなすものをなにか特定のものに限定することはなく、それ自身は一切の限定をもたないもの、to apeiron(無定限なるもの)としました。


 世界の生成変化は、「熱」や「冷」、「光」と「闇」のような相反する性質が規則的に交代し、一方の性質が支配的になると、反対の性質による反撃を受けて、逆方向の変化に転じる。この交代が、時間の秩序によって支配されており、さらに自然におけるこの変化が、不正の償いという、人間世界の道徳的な用語で語られており、人間世界の道徳的秩序と自然のなかにある規則性とが切り離されずに結び付けられている。


 有限なるもの(peres)は無限なるもの(apeiron)より生じ、それは寒たさ、また熱さを持ち、罪によって再び無限なるものに帰す、といえばわかりやすいかと思います。「それって人間のことを言ってるんじゃね?」と、私と同じようなことを思った人もおおいかと思うんですが、彼が「時間」や「罪」を用いて哲学しているあたり、「哲学」と倫理」って、深い関係があるんだなーってことがわかるかと思います(´・ω・`)



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 …と、ここでゴメンナサイ。ちょっち用事があるので、今日はここまでにさせていただきます。次回は、アナクシマンドロスの議論を根拠として、to apeiron(無定限なるもの)としてふさわしいもの、つまり真の根源とはaer(アエラ:空気)であるとしたアナクシメネス物活論から、数学の定理で有名なピタゴラス、それに孤高の賢者、ヘラクレイトスについてお話を広げていきたいと思いますので、こうご期待。同時並行で、民法の担保編もペースップしてゆきますので、楽しみにしといてくださいネ(*^ー^)ノ