間接適用説って何? | 制限速度20~30km/h

間接適用説って何?

 私の所属大学では未だに前時代的な学生運動というモノをやっていて、学食の前なんかで熱心にビラ配りをしている何歳かよく判別できない男ども(多分学生)がチラホラしています。ビラを見てみると「小泉ふざけんじゃねえ」と大きく書いてありましたが、はっきりいって全然文才が感じられなくて興奮しないし、内容は湯葉みたいに薄っぺらいし、悪くしたらちょっと恥ずかしくなるような感じの修辞がバンバンあって、あれで我々を煽動しようというのだから本当、さぞかし程度の低い大学だと思われているんだろうなあと思いました(そして少し泣きたくなりました。ウソです。)。


 まあそんなことはどうでもよくって、憲法というのは用法容量を正しく扱わないと、時として毒薬にもなる大変危険なものだってことについて考えてみたいと思います。例えば先の学生運動の例で行けば、政治活動の自由を前面に押し出して学食前で大演説を行って、私らが飯を確保するじゃまになったらどうか。昼休みに飯が食えるかどうかで午後の講義で椅子に座っておくエナジーの残量が大きく左右されてしまうそんな学生生活において、これは大問題です。しかし政治活動を行っている学生をバンバン停学にしたいのはやまやまであるにしても、憲法の政治活動の自由を持ち出されると、それを封じるスベがなくなってしまう。それじゃあ校則で縛るかといっても、憲法より校則の方が強かったりなんかすると、憲法の最高法規性が失われちゃうんじゃないのっていう懸念がでてくるというか、まあ正直どうでもいいんだけど、そういう風になってしまうとやはりマズい。そこで世の中の頭のいい人たちは、憲法の「間接適用説」という離れ業を考え出しました。


 もともと歴史的に人権は対国家防衛の機能を与えられて出来たわけですが、そんな人権を制限するには、微妙な匙加減が大切でした。ちょっと間違えば国家によって人が蹂躙されてしまうし、だからといってこんなに隣を見てもどこを見ても人だらけな世の中に生きていて、誰もが自分の人権をギャーギャー主張するような自己中フィールドの現出で世の中が荒れるんだったら、いっそ人間なんて皆死んでしまえばいいんだって叫びたくなってしまうというこの小梅ちゃんのような酸っぱさ。とはいっても人権は公法私法含めた全法秩序の基本原則なので、できるだけその効果を限定しないようにしなくちゃならないわけだけれども、だからといってそれを直接人に適用することはできません。何故なら憲法は対国家規範であって、人に対する規範ではなく、誰かを守るために憲法を私事っぽく使ってしまうと、必ず誰かが憲法によって人権制限されてしまう悲しい運命にあるからです。さらに、人権を侵害するのは国家であると同時に、人権を守るのも国家、すなわち裁判所ですから、それだけ国家というのはビシバシ憲法によって鞭で打たないと危なっかしくて仕方がない。そこで出てくるのが憲法の「間接適用」というものであり(前置き長っ!)、一般条項を憲法によって意味充填補充するわけです。


 具体的に実際にあった事件でみてゆくと、有名なのが「三菱樹脂事件」です。当該事案は事件名にもなっている会社である三菱樹脂が就職試験において、志願者が学生運動歴について虚偽の申告をしたのに対し、試験期間終了時に本採用を拒否したという事件であり、これは19条の思想良心の自由および14条後段の信条による差別にあたるんじゃねとツッコまれたと。昔は学生運動が今とは比べ物にならないくらい盛んでしたから、当時の企業の重役連中は「もしかしたらあいつら労働組合作ってワシらにたてつくんじゃなかろうなアワワ」という思いから、思想良心なんて関係なしに面接に来た学生運動歴のある学生をちぎっては投げちぎっては投げして毛嫌いしていたというわけです。まあ現実的に考えると、所詮会社に入ったらほぼその会社のイヌになるしかない(大学教授は国家権力のイヌである)わけで、学校というサナトリウムを出て現実に引き戻された学生クンなんかを憲法違反してまで恐れることはないだろうって考え方もできなくはありませんが、結局裁判所は会社の措置は適法であるとしました。手口は間接適用説で、企業の「雇用の自由」をたてにとって、つまり憲法問題にしなかったというわけです。まさに「大人の論理」ってやつで、学生運動でならしたこの男の子もさすがにこの判決がでた夜は泣いたんじゃないんでしょーか?どうでしょうか。


 他にも「間接適用説」が採られた事件は結構あって、「日産自動車事件」なんてのはわかりやすく、昔の日産自動車の会社規則には「男女別定年制」があって、女性の方が定年齢が若かったということでメチャメチャ男女差別的な雰囲気が社会に蔓延していたというか、そんなんが当然として認知されていた時代があるんだなあーとしみじみとしてしまうような事案なのですが、もちろん男女別定年制なんてダメですよと裁判所は言いました。しかし面白いのは憲法における平等原則を使わずに、民法90条の公序良俗原則を間接適用して、日産の定年制の合理性を否定しました。「違憲判断をもったいぶんじゃねえ!」と若い人なら思われるかもしれませんが、しかしこれも立派な人権を守るための判断なのです。なぜなら先にチョロっと書いたように、憲法違反を日産自動車に適用してしまえば本来対国家規範であるはずの憲法で国民の人権を制限してしまう可能性があるからです。オマケに同じ公序良俗違反が使われた「間接適用説」事件を最後にもうひとつだけ挙げますが、「昭和女子大事件」というのがあります。もともと昭和女子大は私立であり、政治活動を禁止する生活要録というまあ校則のようなものがあったわけですが、その要録を無視して政治活動を行って退学処分とされた女学生の事件です。ナナナナントこの女学生、雑誌やラジオで大学の対応やなんかについてボロクソに批難したということで、大学にとっちゃ「頼むから死ぬか消えるかしろつうかお前何のためにウチに来たん?」って感じで、さすがに常識で考えてもこの女学生の「政治活動の自由」を憲法で認めるのはアレなんだけど、認めないのは憲法的にもダメだろっていうことで裁判所がウンウン唸ってひねり出した結論は、やっぱりウワサの「間接適用説」だったのだ。それによると政治活動を禁じる生活要録は学生の安全ひいては大学の自治を守る上でも不合理ではないし、そもそもオマエこの学校に入る前に生活要録の存在くらい知ってんだろうがこのクソがということで、それを知りながらやったオマエの場合では、退学処分も懲戒権者の裁量内とみなしてあたりめーだとされて、女学生はそのまま退学になっちゃいました。まあでもいくらこの女学生が政治活動に現を抜かして「故郷のお母さん、あたし、いま輝いてるわ!」なんて多少ヒロイズムに酔っていたとしても、もともと大学は教育機関なんだから、あんたの大学の刑法学者が声高に叫んでる「犯罪者の更生」と同じ要領で女学生を更生させるくらいの男気をみせてくれんかねってことで、やっぱり退学処分はやりすぎなんじゃねとヒトコト釘をさしたところで終わりたいと思います。