代表民主制 | 制限速度20~30km/h

代表民主制

 「主権は国民にある」なんて言うが、主権とは何か。主権の定義としては、①最高独立性、②統治権、③国政の最終決定権があるが、国民主権の「主権」は③に該当する。では国政の最終決定権は、どのような要素で構成されているか。二つの要素がある。一つは権力的契機と呼ばれ、他方は正当性の契機と呼ばれる。歴史的には権力的契機→正当性の契機という風に変遷してきた。権力的契機とは、国民が最終決定権を行使することであり、正当性の契機とは、国民は国家による権力行使を正当化する根拠であるということである。

 つまり権力的契機=直接民主制であり、正当性の契機=代表民主制である。正当性の契機の「正当性」を日本に当てはめて考えると、議員は国民の代表(国民から権利を委託されている)であるから、これは自由委任の考えに繋がる。自由委任とは「頼りにしてるよ」ということ。同時に権力的契機はいわゆる命令委任である。命令委任とは「お前がやれ」ということ。ただ例外として、権力的契機が代表民主制に繋がる形があって、それは国家の代表者が国民の傀儡となっている場合である。つまり代表者を小間使いにするということであるが、形だけ代表民主制になっていても、権力的契機の本質は命令委任だということである。

 しかしながら、何故自由委任なのか。日本では国民自身が首相を選ぶことはできないが、それは不当ではないか。実は憲法の前文には「日本は代表民主制である」という意味のことが理念として掲げられている。何故なら一般国民は政治に関しては素人である為である。ナチス政権下のドイツは民主国家だが、基本的に大衆は愚かである。熱狂から意思を一丸に統一したかの国では、反対するものは多数派の意思によって片っ端から殺された。多数決的民主主義国家が戦争を起こすと、時として独裁国家よりもタチが悪いとはこのことだった。よって一般国民の国政についての能力を鑑みた結果、直接民主制的制度は国政レベルでは違憲となる。その代わり、地方自治レベルでは直接民主制的な制度は合憲になる余地を残している。何故なら、生活に密着した事項の判断については、判断能力が不足することはないと思われるためである。政治はモノホンのプロに任せようというわけだ。