最近、考える時間は豊富にあり(点滴の後は寝込むことが多かったので)
色彩心理の講習課題で、自分のメタ認知を行う作業を繰り返し行なっているため、
過去の感情整理、自分の性格を作った環境、考え方の癖など、
「自分」と自分の価値観をみなおす機会に恵まれた。

傷病での退職勧告にしても、これからの生き方を考えていく上で、一つの大きな発想の転換を得るキッカケになったともいえる。
(転んでもタダでは起きないワタシ…)


今まで、仕事というものは、通える何処かの会社に雇われて労働し、給与を代価として「もらう」ものだという認識だったけれど、
クラウドビジネスなど、自分を必要とする人に自分をアピールし、仕事をとってきて自分の力で「稼ぐ」、
アグレッシブな生き方もあるのだな、と思った。
(フリーランスの生き方に近いのか?)


…無理して、誰かに雇われなくても良いんじゃないんだろうか??



仕事とは、
生活の為にしたくない仕事をするのが当たり前(好きなことを仕事にできるのは一部の人だけで、夢は夢で現実は無理)。
給与をもらわないといけないから、理不尽だろうが低賃金でも我慢して労働するのが当たり前。(雇ってもらえるだけでも感謝)
皆と同じように、誰かに雇われて仕事をするのが当たり前。公務員が一番。
雇われている以上責任があるから、自分の生活よりも会社のために尽くすのが当たり前。

親から、幼い頃から、そんな風に教育(洗脳?)を受けてきたけれど…。

今更ながら、
それって、違うんじゃないか??
当たり前や常識って何?(その常識を全く知らない人には、常識と言われても「知らん」としか…)
自分の為に仕事をするという選択肢があっても良いのでは?

と、考えたりしている。


今、自分には、子ども達が成長しあえる「場」を提供できる、体験学習を中心とした癒しと学びの「教室」(=放課後に預けるための場でなく、習い事として、意欲のある子ども達を対象に目的を持った活動を行いながら「生きる力」を育む)を開くという目標がある。

生活の為でなく、夢を叶えるために。
今までのように、どんなに尽くしても取替えがきく歯車の一部としてではなく、かけがえのないオンリーワンとして。

一度くらい「自分の為に」、思いきり自分のパワーを傾けて、努力してみても良いのじゃないかな?
と、思った。
自分の為には、本気になったことって…なかったような気がするし。

色々と不器用だけど、逆境も耐え抜く打たれ強さと、ピンチもバネにして這い上がる根性だけは折紙つきw

失うものは何もないんだから、ダメもとで戦略練って基盤づくりをやってみるのも面白そう。
(親には、夢は夢で趣味でやって良いけど、動けるようになったら何処かに雇ってもらって収入を得るよう約束しろと、既に釘をさされてはいるが)

全てにおいて未熟で、初心者だけど。
遠くない未来に。
この苦しい時期があったから、今があるんだよ、と、笑って語れるようにしよう。

考えるのが楽しくなるのが仕事。
そんな風に、言える私になるぞ♪