無題
怠惰に夏は以前 継続中。
美術系の仕事も受注しましたが。(チラシとポスター作成)
ルルーシュ、最終話直前まで見ました。 連続で3~4話をまとめてみていますが、これが週一回放送だったら、続きが気になってしょうがなかったかも。
シュナイゼル殿下の行動原理までは理解可能です。自分の命も重視しないスタンス。
でも、「相対的に優位に扱われたい」という欲求だけでは、全ての人間の行動原理をシンプルには説明不可能です。
やはり、幻想に支配されて人間は生きているのでしょうかorz
自分の命よりも何らかの事象を優先することは説明可能ですが、シンプルじゃありません。自分の扱われ方を無視して何かを守る行動をとることをシンプルに説明するには、新たな記号が必要になってしまい、試行錯誤を初めからやりなおさなくてならなくなりました。
相対的認識 から出発して 精神的幻想 を創出して 人間は行動している、 という思考解析でしたが、
母が子供を守ったり、親友を守ったりを本能ですることは、それいじょう分解不可能な欲求のようにも取れてしまいます(これが新たに要請される記号です、脊髄反射的な判断は幻想の経路を正確にトレースしていないような感触があるので)。
自分の哲学的思想で アニメの脚本を全て分解解釈できないからといって、自分の試行錯誤を即座に再構築するのも変な話かと思われるかもしれませんw
でも、例外の存在する「原理」は原理じゃありませんしw
もう少し脳科学とコンピュータ技術が進歩すれば、人間についての思考も進歩して、一般性を得とくできるかもしれませんね。
夏休み
朽ちる 朽ちる
怠惰に過ごす。
録画して貯めていたコードギアス反逆のルルーシュR2 を視聴再開。
帝国や支配への反逆から、より抽象的な敵との戦いへ。
一話飛ばしただけで、話が見えなくなるww(数話分の録画が失敗してました)
シュナイゼル殿下の「人は支配されることを望んでいる」という考えは微妙かと感じました。
私の中に装備された理論では、
人は相対的に優れていると評価されたがっている(本能に近い欲求、もしくは本能)と考えています。
(絶対的に優れているということは不可能なので、どんなときも相対的。人間の知覚自体が相対性を含んでいます)
その優れているということを表現するために動物は「示威行動」をとります。(意志や本能などの思考が存在する動物の限った話かもしれませんが)
その示威をより合理化したいがための 肩書き だったりします、言い換えれば支配したがために支配されることを容認している状態です。
よって、支配することなく支配されるだけの存在は支配を否定します。より正確に表現するなら、支配されているという幻想が強い場合に支配を否定します。
たとえば、最下級身分の者。たとえば、取締役の支配に反発して転職する部長。たとえば、生徒に授業を妨害され休職する教師。
なぜ優先的に扱われることを人は望むのか。それは群の中で生命を維持していくに充分なエネルギィを補給したいという欲求です。食欲から合理的に派生した欲求です。
よって、人は支配されたがっている、のではなく、人はよりよく生きるために優先的に扱われたがり、優先的に扱われる手段を合理化したもの、その支配構造の構築を容認しているに過ぎません。
端的に言うと、人は食べるために支配を利用している、ということです。
食べることと生きることに因果関係は存在しますが、動議ではありません。食べたいという欲求と生きたいという欲求は微妙にことなります。
食べたい、生きたい、どちらも脳内でショートカットキーひとつで呼び出されるプログラムとなっていますが絶対的なものだとは考えていません。
自殺の可罰性とかの議論をロジックでなく宗教(プログラムの絶対化)でしようとする人がいて疲れますw
私は科学を信じているので、およそ全てのものは分解可能と思っています。(分解することの意味とかは置いといてw)
以上の論理とかは私の中では普通(当然と思っているから当たり前ww)なのだけど、理系ではない法学部の人間はロジック出発点を曖昧なままで協議を始めて、堂々巡りを繰り返す。学派とかは案外合理的なシステムなのかもしれない。
怠惰に過ごす。
録画して貯めていたコードギアス反逆のルルーシュR2 を視聴再開。
帝国や支配への反逆から、より抽象的な敵との戦いへ。
一話飛ばしただけで、話が見えなくなるww(数話分の録画が失敗してました)
シュナイゼル殿下の「人は支配されることを望んでいる」という考えは微妙かと感じました。
私の中に装備された理論では、
人は相対的に優れていると評価されたがっている(本能に近い欲求、もしくは本能)と考えています。
(絶対的に優れているということは不可能なので、どんなときも相対的。人間の知覚自体が相対性を含んでいます)
その優れているということを表現するために動物は「示威行動」をとります。(意志や本能などの思考が存在する動物の限った話かもしれませんが)
その示威をより合理化したいがための 肩書き だったりします、言い換えれば支配したがために支配されることを容認している状態です。
よって、支配することなく支配されるだけの存在は支配を否定します。より正確に表現するなら、支配されているという幻想が強い場合に支配を否定します。
たとえば、最下級身分の者。たとえば、取締役の支配に反発して転職する部長。たとえば、生徒に授業を妨害され休職する教師。
なぜ優先的に扱われることを人は望むのか。それは群の中で生命を維持していくに充分なエネルギィを補給したいという欲求です。食欲から合理的に派生した欲求です。
よって、人は支配されたがっている、のではなく、人はよりよく生きるために優先的に扱われたがり、優先的に扱われる手段を合理化したもの、その支配構造の構築を容認しているに過ぎません。
端的に言うと、人は食べるために支配を利用している、ということです。
食べることと生きることに因果関係は存在しますが、動議ではありません。食べたいという欲求と生きたいという欲求は微妙にことなります。
食べたい、生きたい、どちらも脳内でショートカットキーひとつで呼び出されるプログラムとなっていますが絶対的なものだとは考えていません。
自殺の可罰性とかの議論をロジックでなく宗教(プログラムの絶対化)でしようとする人がいて疲れますw
私は科学を信じているので、およそ全てのものは分解可能と思っています。(分解することの意味とかは置いといてw)
以上の論理とかは私の中では普通(当然と思っているから当たり前ww)なのだけど、理系ではない法学部の人間はロジック出発点を曖昧なままで協議を始めて、堂々巡りを繰り返す。学派とかは案外合理的なシステムなのかもしれない。

