夏休み | 片付かない部屋のアトリエ

夏休み

朽ちる 朽ちる

怠惰に過ごす。

録画して貯めていたコードギアス反逆のルルーシュR2 を視聴再開。

帝国や支配への反逆から、より抽象的な敵との戦いへ。

一話飛ばしただけで、話が見えなくなるww(数話分の録画が失敗してました)



シュナイゼル殿下の「人は支配されることを望んでいる」という考えは微妙かと感じました。

私の中に装備された理論では、

人は相対的に優れていると評価されたがっている(本能に近い欲求、もしくは本能)と考えています。

(絶対的に優れているということは不可能なので、どんなときも相対的。人間の知覚自体が相対性を含んでいます)

その優れているということを表現するために動物は「示威行動」をとります。(意志や本能などの思考が存在する動物の限った話かもしれませんが)

その示威をより合理化したいがための 肩書き だったりします、言い換えれば支配したがために支配されることを容認している状態です。

よって、支配することなく支配されるだけの存在は支配を否定します。より正確に表現するなら、支配されているという幻想が強い場合に支配を否定します。

たとえば、最下級身分の者。たとえば、取締役の支配に反発して転職する部長。たとえば、生徒に授業を妨害され休職する教師。

なぜ優先的に扱われることを人は望むのか。それは群の中で生命を維持していくに充分なエネルギィを補給したいという欲求です。食欲から合理的に派生した欲求です。

よって、人は支配されたがっている、のではなく、人はよりよく生きるために優先的に扱われたがり、優先的に扱われる手段を合理化したもの、その支配構造の構築を容認しているに過ぎません。

端的に言うと、人は食べるために支配を利用している、ということです。

食べることと生きることに因果関係は存在しますが、動議ではありません。食べたいという欲求と生きたいという欲求は微妙にことなります。

食べたい、生きたい、どちらも脳内でショートカットキーひとつで呼び出されるプログラムとなっていますが絶対的なものだとは考えていません。

自殺の可罰性とかの議論をロジックでなく宗教(プログラムの絶対化)でしようとする人がいて疲れますw

私は科学を信じているので、およそ全てのものは分解可能と思っています。(分解することの意味とかは置いといてw)


以上の論理とかは私の中では普通(当然と思っているから当たり前ww)なのだけど、理系ではない法学部の人間はロジック出発点を曖昧なままで協議を始めて、堂々巡りを繰り返す。学派とかは案外合理的なシステムなのかもしれない。