ハガキ出し忘れ哀川1.1
女性、赤毛のショート。フォトショップにて。
哀川潤のための習作。
強い女性がすきです。バラライカとかレヴィも好きだったりします。もちろん少佐(草薙素子)も。
なんか暴力のある世界に生きてますねーこの人達。
ピザを食べて、マクロスFの応募ハガキを手に入れて、ポストに入れ忘れ、締め切りが過ぎてしまった。
切手を貼らず、記入さえしていない、折り目だけ付けたハガキ。
こういうことは初めてではなく、いつもの私の行動だったりします。
私は私の身の回りのほとんど全ての現象を予測し、私にとって必要な未来は全て残らず予測済みだったりして、大抵のことは予想道理だったりして、でも人間関係上“思った通り!”なんて口には出さず、驚いた演技をする余裕さえあったりする。
私に必要な未来なんて、ごく近いものだけだったり、遠くても単純な予測しか必要とされなかったりするので、私が特段、思慮深いわけでもなく、案外、みんな先読みはしていると思います。
でも、たまに、まったく予想外のことが起きると、些細なことでもとてつもない動揺が走ったりします。そして、私は自分が動揺することを知っているし、その動揺は1週間で収まることも知っていて、何年たってもふと思い出し私を苦しめることも知っている。
全て予想通り、想定済みの現象だったりします。それはたまに虚しくなります。
仮に私は3秒後に死ぬと認識しても、そうなんだろうと受け流そうとして、動揺しまくるんだろうなぁ、って考えても楽しいわけではない。自動的に思考してしまうものでしょ?
こうやって自分の精神をネットに晒すのは、その行為自体に救いがあることを願っているのかもしれない。魂の救済なんて、生きているもののエゴだってわかりきっていても、そうあることを願ってしまう。弱い、弱い私。
自分の醜いココロに向き合う勇気がなくて、だれかれかまわずに晒して、醜いココロを一般化しようと躍起になって、さらに汚れていく。
“時間は常に味方する”なんて美しい言葉。美しすぎて、まぶしすぎて、有機生命体たる私の影はよりいっそう濃くなる。
観念的な文章ですね、自分では内容を理解して書いているのですが第三者が読むと理解できない意味不明、意味消失した文章になってしまうんでしょうね。小説で、“女王の百年密室”という作品がすきですが、その文章すべてを時間をかけて私はゆっくり読みます。1回目に読んだときはさらっと物語だけを追って読みましたが、時間が経って2回目を読んだときはゆっくり文字全ての意味を汲み取るように読みます。それは苦痛なときもあったりして、そんなときは読むの休みますが、私にとっては贅沢な時間だったりします。
人間は毎日大量の思考をしていますが、その多くが消失したり意義を失い表出しなかったりします。それでも考えることは止められませんし、常に脳は演算処理を継続してしまいます。そんな思考の行き場のないエネルギーがブログに顕れるようで、ブログは急速に普及していって、今も増加していますね。
そのエネルギーはどうしようもなく何かを書きたいという衝動も生むようで、文才のない私も恥ずかしげもなく、人生初の小説もどきの文章なんか書きつけてしまったりして。
哀川潤のための習作。
強い女性がすきです。バラライカとかレヴィも好きだったりします。もちろん少佐(草薙素子)も。
なんか暴力のある世界に生きてますねーこの人達。
ピザを食べて、マクロスFの応募ハガキを手に入れて、ポストに入れ忘れ、締め切りが過ぎてしまった。
切手を貼らず、記入さえしていない、折り目だけ付けたハガキ。
こういうことは初めてではなく、いつもの私の行動だったりします。
私は私の身の回りのほとんど全ての現象を予測し、私にとって必要な未来は全て残らず予測済みだったりして、大抵のことは予想道理だったりして、でも人間関係上“思った通り!”なんて口には出さず、驚いた演技をする余裕さえあったりする。
私に必要な未来なんて、ごく近いものだけだったり、遠くても単純な予測しか必要とされなかったりするので、私が特段、思慮深いわけでもなく、案外、みんな先読みはしていると思います。
でも、たまに、まったく予想外のことが起きると、些細なことでもとてつもない動揺が走ったりします。そして、私は自分が動揺することを知っているし、その動揺は1週間で収まることも知っていて、何年たってもふと思い出し私を苦しめることも知っている。
全て予想通り、想定済みの現象だったりします。それはたまに虚しくなります。
仮に私は3秒後に死ぬと認識しても、そうなんだろうと受け流そうとして、動揺しまくるんだろうなぁ、って考えても楽しいわけではない。自動的に思考してしまうものでしょ?
こうやって自分の精神をネットに晒すのは、その行為自体に救いがあることを願っているのかもしれない。魂の救済なんて、生きているもののエゴだってわかりきっていても、そうあることを願ってしまう。弱い、弱い私。
自分の醜いココロに向き合う勇気がなくて、だれかれかまわずに晒して、醜いココロを一般化しようと躍起になって、さらに汚れていく。
“時間は常に味方する”なんて美しい言葉。美しすぎて、まぶしすぎて、有機生命体たる私の影はよりいっそう濃くなる。
観念的な文章ですね、自分では内容を理解して書いているのですが第三者が読むと理解できない意味不明、意味消失した文章になってしまうんでしょうね。小説で、“女王の百年密室”という作品がすきですが、その文章すべてを時間をかけて私はゆっくり読みます。1回目に読んだときはさらっと物語だけを追って読みましたが、時間が経って2回目を読んだときはゆっくり文字全ての意味を汲み取るように読みます。それは苦痛なときもあったりして、そんなときは読むの休みますが、私にとっては贅沢な時間だったりします。
人間は毎日大量の思考をしていますが、その多くが消失したり意義を失い表出しなかったりします。それでも考えることは止められませんし、常に脳は演算処理を継続してしまいます。そんな思考の行き場のないエネルギーがブログに顕れるようで、ブログは急速に普及していって、今も増加していますね。
そのエネルギーはどうしようもなく何かを書きたいという衝動も生むようで、文才のない私も恥ずかしげもなく、人生初の小説もどきの文章なんか書きつけてしまったりして。
