美術、芸術 雑記
1>作品を見てもらう事を目的にしている以上、いい加減なものを掲載するべきではないだろう。誰かが褒めてくれるかもしれないが、自分でも中途半端だと思っているものを評価されても、はたしてそれは嬉しいことだろうか。
2>しかし、どんなものでも描くときには感動があると僕は思っているし、感動がなければ描く事はできない。どんなものからも、ちょっとしたことでもいいから、感じてほしいと思うのである。描く事、それ自体がたまらなく楽しいことのだから。
私が絵を描き始めるきっかけになった ブログA の トラックバックから飛んだブログBに
書かれていた 文章 です。
まだ 感情が働いている 今なら かなり 反発 したい。
引用1、では おそらく 「手抜きです」と言っていることに対する批判 (批判とは非難ではありませんw) のようですが、 「手抜きです」「中途半端です」ということも 芸術の一部である と私は考えます
事象に対する評価 それが 芸術である と思うので、 ダビンチのデッサンとか落書きのような構想図とか、本人にとっては 走り書きだったり メモだったり するわけですが 美術館に 展示されています
私自身 絵を書く練習のためという事もあるかもしれませんが、 製作過程にも かなり 興味があります
たとえ それが 手抜きだったり 中途半端っだったり したとしても 私が(もしくは私達が)評価すれば芸術となりうるのです。ピカソの習作も、バッハの楽譜まで 芸術だと 判断する人間が この世には いるのです。
( 楽譜なんて中途半端どころか演奏の設計図にしかすぎないものなのにw
バッハが想定した作品は音楽であって紙ではない、のに紙を評価し芸術だと言う人間もいるw )
プロなら手抜きが許されない というのは 努力すれば報われると 似た においがするw
工業国の人間 ドワーフの発想か。 “光よ、もっと光よ”と努力して言ったと信じてるのか?w
いや、むしろ パフォーマー 精神? 観客に最高の演技を見せたい という ポリシー たしかに重要
でも 芸術家に 無くてはならないもの では 無い。
なんか書いていたら 手抜き って概念は いろいろ あるかも って思いはじめたぁ
妥協する のと 手抜き は別で、 自分に対する 怠け が手抜きなら 非難 の対象となりうる のかも。
ブログBでは ブログAの作者を 応援するために記述しているようで、、、
思考が乱れてきた でも わたしは 中途半端でも 手抜きだといわれても UP します
中途半端なものも 手抜きと世間的に非難されても 私がすばらしいと評価すれば いいもの です
なにより 私は そういうものを 見たい とか 存在して欲しいと 願っています
だから 自分で 作成したりしていますw
そして 他人を 不快にする明確な意図は存在しません
3>ネットで何かを発言したり公開するということは、それはあらゆる人の目につく可能性があるということです。だからこそ、そこまで想像力を働かせて表現する必要があります。
というコメントもありました 私は想像すると 何も 公開できなくなりますw
例えば 友人の一人に 幼い頃 カラスに襲われ カラスを見るだけで不快になったり精神的圧迫を受ける人間がいます、そういった例は無限に存在し 私にはたやすく想像できてしまいます。
あと、おばあちゃんは ねずみの尻尾が大嫌いなようで 病気で脱毛したうちのリスもアウトだったようですw
だから、公開することで 不快になる人が居ませんようにと 祈りながら 公開することしかできません。
あぁ、もしかしたら ブログ に対する意識が 上の世代の人と違うのかも、 ブログはネットであるから公共で私的空間ではない と。これは欧米的な思想かもしれません。
この議論、おもしろい ですね、感情が 残っているうちに だらだら 書きましたが、
また私の感情が相対主義に落ち着いたら 思考してみたいです。