空乏層のブログ -424ページ目
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高輪三丁目界隈

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『IMGP0016』
品川駅西口を出ると正面に見えるこの坂道、名前はないが私の生家のあった所に通じる道である。その中ほど左側にコイトさんというタバコ屋さんがあった。私は百円札を持ってチョコレートを買いに来たそうだ。びっくりしたコイトさんは、私の手を引き、家まで連れて行った。話しを聞いた母親は庭の柿の木に私を縛り、夜まで寒空の下にさらしたそうだ。コイトさんの辻向かいにはホテルがあり、進駐軍の兵隊さんが出入りしていたのを覚えている。幼かった私は、ギヴミーチョコなどという言葉を知らなかったから百円札を盗んで買いに行ったのだろう。反対側は広大な宮様の庭園があり、忍び込んではよく真ん中にある池でトムソーヤーをやったものだった。その跡地には某ホテルのカフェテラスがあり、心地よい秋風の下、何人かの婦人がカフェタイムを楽しんでいる様だった。坂道を登りつめたところには、旧財閥の学校があった。その敷地に初等科の教頭をしていた祖父の家があった。そこで私は生を受けたそうである。その頃は港区芝高輪南町と呼んでいたが、今は港区高輪三丁目だそうだ。宮様の庭園の土塀は今は鉄のフェンスと白壁となって、白金や猿町方面へ懐かしき道に沿って名残をゆっくりと下って運んでいる様に見えた。

東京の空

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『IMGP0007』
この坂を登り、しばらく真っ直ぐ歩くと九段の靖国神社がある。なんとも粋な名前の付いた坂、「袖すり坂」という名の坂道である。道が狭いから袖が触れるのかもしれない。他人であってもそこで袖触れ合えば、いい仲になれるのかな、・・・。さはさりながらだ、靖国辺りの空を見てくれ、誰かがレモンをかじりながら言った如く、まるで東京には空がない様な風景じゃあないか。

この交差点を右に折れれば外堀通り、皇居のお堀は半蔵門左手に出れる。そこからは晩秋の東京の空が広がっている。今度機会があったら、ゆっくりと皇居の北側を歩いてみようと思う。今日は、滝廉太郎の住んでいた角っこを左に折れて、旧日テレ通りを歩いて、新宿通りに出た。馴染みの甘もの屋さんに入ってみた。幸い、10年前のお店の風情は変わっていない様だった。

通りの向かい側に「農業会館」がある。よく狭い会社の会議室で陰気な会議をやるのが厭で、そこの会議室を借りたものだった。なにしろ、会議室でタバコがすえるのだ、おまけに、コーヒーは注文すれば、いつでも運んでくれるから、自由闊達な議論ができるというものである。但し、嫌煙家のうるさ型女性陣には悪評だったらしい。勿論会社はそんな経費は認めてくれないから、自腹での会議となるのだが、それでも快適空間には変わりはなかった。そんな了見だから、東京の空を狭くしていたのかもしれないな、・・・。

大きな栗がおわんに浮いた善哉は、小さな焦げ目のついたお餅を無理に沈めて食べると、このうえなく美味い!年末にかけて恐慌不況が襲ってくるとはどうしても思えない雰囲気を味わった一日だった。

英国大使館の見える席

英国 帰国以来、10年ぶりに半蔵門界隈を散歩した。外堀通りから英国大使館の前を通りかかると、改築中でちょっとがっかりさせられた。建物の屋上にユニオンジャックが翻っていたので、移転したのではない様である。突き当たり左に、ダイヤモンド・ホテルが見えた。ランチや部下との打ち合わせにそのカフェテラスを利用したものだった。懐かしくなってふらりと入ってみた。以前と比べて、随分フロア・スペースが手狭になっていた。あれから10年も経っている、あの頃の様なゆったりとした雰囲気はもう味わえないのだろう。窓際の席が空いていたので、コーヒーだけでもいいかと訊くと、立派なウエイターが、どうぞおくつろぎください、とその席の椅子を引いてくれた。マナーはあの頃と変わっていなかったので、ちょっと安心した。全席タバコが吸える様である、時代は変わってもそのカフェテラスは昔の威厳を残している様な気がした。タバコを吸って、ふと見ると英国大使館の塀が見えた。バツイチのかわゆい部下の長い脚が気になって、そっちをチラチラ、脚を盗み見してはまた大使館を見上げたその頃が懐かしい。やな奴、と言っていた同僚と再婚してシンガポールへ行ってしまった長い脚のその女、また離婚せねばいいが、と余計な心配をした私だった。

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