女神の投げ槍、パリを制した北口榛花さん、貴方は真のオリンピック・チャンピオンだ! | 空乏層のブログ

女神の投げ槍、パリを制した北口榛花さん、貴方は真のオリンピック・チャンピオンだ!

テレビ観戦をしていて、かって、この投擲ほど足元が震えるほど応援したことがなかった。北口榛花さんがパリの空に向かって上昇してゆく投げた槍が見事に背後から撮った画面に映った瞬間だった。君主制の打倒に立ち上がり民衆の先頭に立った自由の女神が翳すのは後にフランス共和国国旗となったトリコロールの三色旗だ。投じられた後に残像として脳裏に蘇ったのは、この女神の姿だった。そして、槍は見事な放物線を描いて、誰よりも遠くのフィールドに突き刺さった。まるで、それはオリンピックの女神が囁く息吹の様に導いた様に見えた。確かに競技場は無風だったかもしれない。しかし、女神は北口榛花さんに味方し、真の力量を後押ししたに違いないのだ。風の読みや助走のスピード、リリースの態勢等はベスト8に残っているトップクラスの競技者だったら、誰でも分かっている。しかし、最期は毎日の血のにじむ様な修練の成果をその時に発揮できるかどうかだ。そして、たった一人のその者を祝福する女神の息吹だ。

ドラクロアが描いたこの女神は、単に民衆を鼓舞する象徴ではなく、実在する人物だったとの説がある。その人物には銃弾も槍も当たらなかったのであろう、やがて、この女神の右手にはトーチを翳す争いのない平和な世界を願う象徴として女神立像となり、パリを超えフランス全土に、世界各国に送られることになったと聞いている。

古代オリンピックを象徴するマラトンの丘のはるか西方にあるアテネの競技場にトップで返ってきた野口みずきさん、貴方の42.195 km はそれはそれは人々の心に残る快走だった。それに匹敵する快挙こそ、近代オリンピック発祥の地、パリで競技に勝利した北口榛花さんの第一投目の 65m80 の投擲は平和を愛する人々の心に残る快挙ではなかろうか。ちなみに、今回特筆すべきは、日本人にはメダルが遠かった競技、馬術の銅、近代5種の銀、高飛び込みの銀、フェンシングの金・銀・銅の活躍はその復活も含めて、称賛されるべきだと思う。加えて、レスリングのお家芸復活は是非今後も継続してもらいたいと思っている。

金メダルの数の上では世界3位だが、なにやら、米国、中国に続くGNPの序列と似ている様な気がする。もう間もなくドイツ、インドに抜かれて第5位に落とされる運命だそうだが、それには納得がゆくところがある。分野は違うが、大谷翔平のMLBでの大活躍に示される如く、あの様な屈強な体を造るには、育った環境が影響することは確かだからだ。まず、経済的な環境が大分影響することは間違いなさそうだ。虐げられた環境からは、アスリートは育たない。家庭、指導者、教育環境が整っていないと、世界で活躍するレベルにはほど遠い。ローマ、東京オリンピックで二大会金メダルのアベベ・ビキラだって、シューズを買えないくらいのエチオピアの貧困家庭に育ったが、近衛兵として王族に雇われていたから喰うには困らなかった。社会体制が日本とは違う諸国は国家が育成するから、この範疇の外としたいが、概ね、家庭がある程度の経済環境が整っていないと、教育も受けられないから、スポーツをやること自体が無理なのだ。そうした意味で、幼児期からアスリートを文武両面で育てるには、環境の整備が必須であることは間違いない。つまり、貧困の格差こそあるが、ある程度の経済環境、教育環境が整っている日本に求められるアスリートの育成には、家庭の初期的教育、学校教育、所属クラブ指導層の質的向上が必要だと言える。前回、おちょくったが、高校教育現場では丸坊主を強要し、ランナーに出たら、決まってバントする様な高校野球をやっていたんでは国内ではよしとされるが、その練習時間、方法も含めて、国際的団体競技には抜本的改革が必要なのだ。大谷翔平は特例中の特例なのだ。ベースボールは地域的に限られる故オリンピック種目には適さないから、これまでとしておくが、少なくとも、オリンピック種目のァスリートを目指す若人を育てる環境をもっともっと整備してもらいたいと願う。

北口榛花さんはその環境を求めて、チェコに渡ったことを忘れてはならない。天の女神はこうした彼女の努力と勇気をずっと見守っていたから、無風のパリ競技場に息吹を送り、槍が落ち行くのを救い、65m80 に着地させた。最近、カメラワークにいろいろ揶揄されているが、競技者が大空に向かって放たれる槍が上昇する場面をよく撮ったものだ。ドラクロアに代わって、だれかあの場面を描く人はいないのだろうか。