こんにちわ、皆さんお元気ですか?コーネリアスです。今回は、ロシアの文豪ドストエフスキーと『信仰』という事を考えてみたいと思います。ドストエフスキーと言えば、まあ、知らない人はいないと思います。ロシアを代表する世界的な文豪、否、大文豪ですからね。私も読みました。『罪と罰』。目から鱗でした、あの作品は…他にも『カラマーゾフの兄弟』、『悪霊』など、彼の作品には名作が目白押しです。で、彼の作品を読んでいて皆さんはどういう印象を持たれましたか?『やたらキリスト教というか、神が登場して来るな…』と感じられませんでしたか?そう、彼の作品、特に人生後半の作品には、強く、強くキリスト教が影響しているんです。なので、彼の作品をより良く理解するには、先にキリスト教理解が必要になると思います。じゃ、彼とキリスト教の関係は、いつ何処で始まったのか?何処で強い影響を受けたのか?それは何故か?その答えは、彼の人生そのものにあると思います。実は、そもそも彼はそこまで信心深い人間でもなく、信仰心に満ち溢れた人間でもありませんでした。彼はいわば、ある意味無神論者で、ただ文学を愛するロシアの片隅に住むごく普通の人間だったのです…

 

ロシアの文豪、フョードル・ドストエフスキー

 

 彼の凄いところは、その作品を通して世界中の多くの人々に影響を与えた点です。彼から影響を受けた有名人としては、ノーベル文学賞受賞者、同じくロシア人のソルジェニーツイン、そしてチェーホフ。ドイツの思想家のフリードリヒ・ニーチェ、フランス人哲学者、ジャン=ポール・サルトル等がいます。いずれも知る人ぞ知る錚々たるメンバーです。

ドイツの思想家、古典文献学者ニーチェ

 

フランスの哲学者サルトルとパートナー、ボーボワール

 

 ちょっと彼の略歴について語ると、ドストエフスキーは、1821年、ロシアのモスクワで生まれました。母親の影響から、幼い時は聖書に親しんでいたようです。成長した彼は、当時(ロシア帝国)の首都、サンクトペテルブルクの陸軍工兵学校に入学。この頃から文学に目覚め、作家活動を始めています。1846年に処女作『貧しき人々』を発表したところ、当時のロシア文壇の著名人たちから高評価を受け、華々しく文壇デビューを果たす事となります。作家としてのスタートは順調満帆だったわけですね。がしかし、間もなく彼に試練が訪れます。彼は反政府勢力の団体(社会主義サークル)に参加するのですが、これが当局にバレ、逮捕投獄されてしまいます。裁判を受け、判決は国家反逆罪で死刑。人生もうお終いと思われた時、彼は運良く当時のロシア皇帝から特赦を受け、罰が軽減され、死刑から一転シベリア流刑となりました。そう、後年世界中に影響を与えたロシアの大文豪は、何といわゆる『バツイチ』、前科者だったわけです。しかし、このシベリア流刑が私は別の意味で、彼にとって良かったかもしれないとも思います。というのも、彼は此処で再び聖書と出会い、静かな環境の中で、じっくりと聖書研究に没頭出来たからです。刑務所の中ですからね、所詮。何もする事も無いわけだから、しかし暇だけは、時間だけはたっぷりあったというわけです。

 ところで、この聖書というのは、別に彼が持参した物ではありませんでした。ある女性、夫人から貰った物でした。彼女はロシアの没落貴族の老婦人でした。フォンヴィージナ夫人という人です。彼の夫も、革命家でシベリアに抑留される途上にある人でした。彼女はその夫と共にシベリアに向かっていた途中だったのです。でもね、考えてみて下さい…愛する夫とは言え、罪人です。それでもここまで、極寒のシベリアまで自分の夫と共に来るなんて、間違い無く彼等は強く愛し合っていたんだと思います。今ならどうでしょう?とっくに愛想尽かして離婚じゃないですかね。で、ドストエフスキーとの出会いは本当に偶然で、彼、ドストエフスキーがシベリアに輸送される途上でのホント偶然の出会いだったようです。『…そうですか、今から刑務所行きですか。それじゃ暇でしょうから、コレでも読んでみたら…』と言って渡されたかどうかは、定かではありませんが、いずれにしても彼は彼女から一冊の聖書を貰うわけです。でもね、考えてみれば此処からあの名作『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』が誕生したんだと思うと、この出会い、これってホント運命的というか、私はこれこそ『神のなせる業』のようにも思います。まるで神が彼(ドストエフスキー)にこれ等の名作を創るように導いているようにも思うのですが、こう考えるのは、私だけでしょうか?この点については是非とも『ドストエフスキーファン』の方々、若しくは『ドストエフスキー研究者』の方々がいらっしゃったら是非ご意見を伺いたいです、ホントに…で、彼女とはこの時が最後では無く、その後も手紙等で連絡を取り合う仲になったようです。その手紙の中に実はドストエフスキーのいわゆるキリストに対する『信仰告白』的な言葉が語られているわけです。そして、その文章が、言葉が凄い!私にはまさに『魂の告白』と感じられるわけなんです…彼の『罪と罰』を読まれた方なら御理解頂けると思いますが、私コーネリアスには、このドストエフスキーとフォンヴィージナ夫人の関係こそ、作中の主人公ラスコーリニコフと最後まで彼を献身的に支えたソーニャの関係に色濃く見えて来るのです。じゃ、そのドストエフスキーのいわゆる『信仰告白』を以下に記してみますね…因みに読者の皆さん、こう考えて下さい。此処ではある問いが出されています。その問いとは、『あなたにとって、イエスキリストとは、一体如何なる存在か?』という問いです。この問いに彼、ドストエフスキーはこう答えています…

 

 

★『フォンビージナ夫人への手紙』 (ドストエフスキー神学)

 

『多くの人たちが、「あなたは大変宗教心の深い方だ」と僕に言いました。だから申し上げるのではない、僕自身が感じ経験したから申し上げるのですが、そういう時に、人々は「干涸びた草の様に」信仰に飢えるものだ、そして遂には信仰を見附け出すものだ、と。何故かというと不幸の中で真理は見え始めるものだからです。僕自身はと云えば、僕は時代の子、不信と懐疑との子だと言えます。今までそうだったし、死ぬまできっとそうでしょう。この信仰への飢えが、今までどんなに僕を苦しめて来たか、今も苦しめているか。飢えが心中で強くなればなるほど、いよいよ反証の方を掴む事になる。併し、神様は、時折僕が全く安らかでいられる様な時を授けて下さいます。そういう時には、僕は人々を愛しもするし、人々から愛されもする、そういう時僕は信仰箇条を得ます、すると凡てのものが、僕には明白で、神聖なものとなります。信仰箇条と言うのは、非常に簡単なものなのです。つまり、次の様に信ずる事なのです。キリストよりも美しいもの、深いもの、愛すべきもの、キリストより道理に適った、勇敢な、完全なものはこの世にはない、と。実際、僕は妬ましい程の愛情で独語するのです、そんなものが他にある筈がないのだ、と。そればかりではない、たとえ誰かがキリストは真理の埒外にいるという事を僕に証明したとしても、又、事実、真理はキリストの裡にはないとしても、僕は真理と共にあるよりも、寧ろキリストと共に居たいのです。』

 

 後年上記の文章を読んで、『20世紀最大のキリスト教神学者』との呼び声高いドイツのカール・バルトは、『ドストエフスキーこそ、文学者の姿をした神学者である。』と評し、大変高く評価したと言われています。ドストエフスキーは、十字架の主イエスキリストの姿を鮮やかに指し示し、全ての人間の現実を見事に描き切っている。又、十字架の主イエスキリストの内に、『真理の中の真理』を見出した者として、真理と共にあるよりも、十字架と言うある種『絶望』の中にキリストと共にある方がいい、キリストと共に留まるとしているのです。此処には生まれ変わって、新しい人生を生き抜くぞ!というドストエフスキーの、武士道的に言うところの『覚悟』の様なものを感じます。ホント感動の言葉、文章だと思っています、僕はね…

 因みに、このフレーズ『たとえ誰かが〜と共に居たいのです。』の部分について、文芸批評家の浜崎洋介氏によると、此処の「キリスト」と言う語は他の言葉にも置き換え可能だと言っています。なので、例えばですが、此処を『我が最愛の妻』にしても良いし、『愛する〇〇』、その他自分にとってのこの世で最も大切な人、ものに置き換えて使用十分に可能だと言っていました。こう考えると、クリスチャン以外の方にも是非とも慣れ親しんで使って頂ければイイかなあと思います。そんな実に『美しいフレーズ』だと思うのですが…

 

 

20世紀最大のキリスト教神学者、カール・バルト

 

『罪と罰』の主人公。彼こそが、ドストエフスキー自身だったと言われています…

 

彼女のモデルは間違い無くフォンビージナ夫人だったと思います…