こんにちわ。皆さんお元気ですか?コーネリアスです。今回は、平安時代初期に書かれた当時のいわゆる、国勢調査書のお話をしてみたいと思います。それが、当時の嵯峨天皇の命で書かれた『新撰姓氏録』と言われる文書、古代氏族名鑑です。

嵯峨天皇像

 

新撰姓氏録

 

 時は平安時代初期…

嵯峨天皇:『…最近は都の近辺も人口が増えたようじゃのう。民はどれくらいおるのかのう…そうじゃ、大臣たち、ちょっと調べてみてくれんか?私も知りたい。この都の周辺にどのような者がどれくらい住んでいるか、知っておきたいのじゃ…』

と仰せになったかどうかは、定かではありませんが、いずれにしても上記の嵯峨天皇の命により、古代版国勢調査書なるもの、古代氏族名鑑が作成される事となりました。これが、『新撰姓氏録』と呼ばれる文書です。この文書は、当時の平安京を中心に畿内がその調査対象でした。で、調査のキーとなったのが、姓、カバネと呼ばれるもので、一体どの様な一族の人たちが畿内に暮らして居るのかを調査するものだったようです。当時はその姓、苗字で大体どういう一族なのかが判別出来ていたようなのです。この文書は大きく三部構成になっていました。因みに全調査対象数は、1182氏族でありました。

★『新撰姓氏録』の構成と割合

①皇別  (28%)

→神武天皇以降、皇室から分かれた氏族の事。対象数全335氏族(例:清原、橘、源)

②神別  (34%)

→天皇家では無いが、古くから天皇家に仕えていた氏族の事。また天皇家と関係無く、古くからこの日本に土着していた氏族の事。対象数全404氏族(例:弓削、安曇、藤原、尾張、出雲)

③諸蕃  (28%)

→渡来系氏族の事。いわゆる日本以外の外国にそのルーツを持つ氏族の事。対象数全326氏族(例:秦、東漢、百済、高麗)

※その他  (10%)→上記のどれにも該当しない氏族→117氏族

 

 で、この統計を見て分かる事は、古代のこの時代、平安時代初期の近畿地方には、明確に分かるだけでも約30%も外国にルーツを持つ一族の人たちが既に住んでいたという事実です。これはある意味で凄い事だと思います。だってそうでしょう。平安時代初期のこの段階で、日本は既にいわゆる『国際国家』だった証なのですから。もっともその殆どは、朝鮮半島と中国大陸からの一族であったようです。もしこれを今の日本の規模に拡大して調査したら、もしかしたらもっと比率は大きくなるかもしれません。分からないけどね。でも可能性はあります。で、思うのはこうした一族がどうして自分の祖国、ルーツの土地を離れてまで日本に来たかという事です。ここはとても大事なところだと思います。

 ここは、一つには遣唐使の影響、当時の唐からの諸文化、諸制度の輸入政策が大きく影響していると思います。この辺は、実に積極的に学校教育で教えているところですが、それはその通りかと思います。様々な交流事業が国家的規模で行われていたので、この時多数の外国人が流入して来たと考えて良いかと思います。それにしても、何故こんなにも多く移住して来たんでしょうか?普通に考えるならば、自分たちが生まれ育った土地の方が良いのではと思うのですが…彼等からすれば、言葉も違う異国ですよ、日本は。個人的にここはどうしても合点が行かないんですよ。それで、色々考えてみたんですが、理由の一つとして、日本の生活環境の良さがあったかもしれないと思うのです。今でもそうですが、日本は、四季があり、気候は半島や大陸と比べれば、温暖で過ごし易いはずです。平野部では米や野菜も取れ、四方海である為、魚も豊富に取れます。更には、水資源も豊富です。気候も良く、食べ物も豊富にある。おまけにおそらくは、当時から他人に優しい現地人である日本人がそこに居る。となれば、『日本良い所みたいだから移住しょっかなぁ…』てな事になってもおかしくはないようにも思います。ま、私の勝手な意見ですけどね。

 で、もう一つ理由を思い付きました。これは、ちょっと大胆な仮説というか、私なりのこれもあくまで意見なんですけれど、名付けて『倭人里帰り説』とでも言いましょうか、そういったものです。どういう事かと言いますと、今から約7300年前、これはちょうど日本は縄文時代だったのですが、鹿児島の南方約50kmの海底に位置する海底火山『鬼界カルデラ』という直径20kmもある大海底火山が大爆発を起こしています。この爆発は相当なもので、過去一万年の内では世界最大規模であったそうです。この大爆発の影響で、九州地方の縄文文化は、崩壊してしまったと言われています。で、この時の火山灰ですが、これは東北地方まで飛んで来た形跡もあるのだそうです。いずれにしても、とんでもない大爆発だったわけです。九州地方は壊滅状態でしたが、幸いにもそれ以外の地域は、そこまで大きな被害は免れたようです。がしかし、当然ながらですが、環境的には住める状況にはなかった可能性があります。因みにこれは最近の考古学の分野からの研究で、既に証明されている事実なのですが、我が日本国は、縄文時代から農耕をやっていたとの事。そう、お米を収穫していたのです!また、縄文時代既に船も作っていました。縄文人は、ある意味で海洋民族だったのです。遺跡跡からそうした証拠も見つかっています。そうなると、こう考えられます。火山灰の影響等で、農耕もやり辛くなった。なら、移住しよう。大陸方面へ…そう、それが中国沿岸部の上海付近、いわゆる長江の下流域です。肥沃な大地が広がる地域であり、農業を営むには、もってこいの地。倭人たちは、此処を選んだのではないかと思うのです。今から14000年前此処から起こった文明がありました。長江文明です。私コーネリアスは、これに我々の先祖、倭人たちが、こうした経緯の下、絡んでいった文明ではないかと考えます。大きな動機の一つは、此処から出土した稲。これを調べてみたところ、これが『ジャポニカ稲』であった事が研究で判明したからです。ジャポニカ稲は、日本起源と言われ、日本以外でも近隣の朝鮮半島、中国、ベトナムなどから発見されているそうです。縄文文明が、今から16000年前、長江文明が今から14000年前、と言った時代区分的なものも上手い具合にフィットします。これに大海底火山の噴火も合わさると…というわけです。で、こうして移住していった倭人たちですが、彼等は子孫たちに語っていたのではないでしょうか?『我々は、今でこそ此処大陸に住んでいるけど、本当のルーツは、南の国倭国(日本)なんだ。過去に天変地異が起き、やむなく此処に移住して来た…その事だけは知っていて欲しい…俺たちのルーツは日本なんだ!』こんな感じでね、多分。その後、実に長い時間をかけ、火山爆発の影響が無くなり元の日本の状況、環境に戻ったのを知った移民倭人の子孫たちが、これまた長い時間をかけ、一人もどり、二人戻りし、気付けば上記の新撰姓氏録のような状況になっていったのではないかと思うのです…

 何で、そう思うのか?だって、畿内にこんなにも外国ルーツの一族が居るのに、反乱、紛争、まして戦争の一つもこの時代起きていません。少なくとも、国内は全くもって平和そのもの。何故か?当然です。自分のルーツの場、故郷へ帰って来て、暴れる人なんかいないでしょう。逆に先祖たちの思い、願いを自分たちの代で叶える事が出来たことを誇らしく、嬉しく思うのが普通じゃないでしょうか?いずれにしても、これはあくまで私コーネリアスの歴史に対する個人的意見ですので、信じる信じないは読者の皆さんの自由です。新撰姓氏録のデータから、勝手に読み取りました…こんな可能性もあるかなと思ってね。

 

PS.それにしても、こうやって語ってみると、この話何か旧約聖書の出エジプト記みたいですね…クリスチャンの方、聖書に通じた方なら、おそらくピンと来るかもしれませんが…彼等も、古代エジプトから、自分たちの故郷、『カナンの地』へ戻りましたからね…