こんにちわ。皆さんお変わりありませんか?コーネリアスです。今回は、絶対学校で教わらない国家観というか、思想をご紹介してみたいと思います。それが、『国家有機体説』と呼ばれるものです。先ず、この思想は、ヨーロッパでフランス革命後に主として、フランスのお隣のドイツで現れたものでした。最初に、この国家有機体説を述べる前に敢えてこれに対峙する思想、『社会契約説』についてお話しようと思います。因みにこちらは学校で詳しく教えますよね…何故なんでしょうか?フランス革命というものは、それまでの支配体制ブルボン王朝やカトリックを否定するものでした。そう伝統的にフランスはカトリックの国なので。それですから、彼処では、マリーアントワネットや国王だけで無く、当時の多くのフランス国内のカトリック幹部たちも粛清されています。要するに王政や宗教(カトリック)と言った古い体制を捨て去り、市民で政治をしようというものでした。この革命の思想的推進役、バックボーンとなっていたのが、いわゆる啓蒙思想で、社会契約説もそこから生まれたものでした。で、ヨーロッパに於ける政治思想的なものを時系列順に行くと、それ迄の絶対王政を支えていた思想が、いわゆる王権神授説と言われる思想で、簡単に言うと『王という存在及び国家は、神が授けたもの』という思想でした。この辺の事は聖書で言えば、『新約聖書』に記載があります。今回はその詳細は割愛しますね。話が長くなるので。なので、王室や教会が力を持ち、国の政治を行なっていたわけです。これに対し、社会契約説では、先ず神を否定します。『国という共同体を作ったのは、神様なんかじゃない!我々人間だ!』とこう主張するわけです。では以下、社会契約説による政治的スタンスについて大雑把に且つ簡単にその内容を記します…

社会契約説を唱えたルソー

 

★社会契約説的な政治思想とは…

①そもそも王なんて居ないんだ。此処には人間が居るだけなんだ。

②そして、その人間(市民)が国を作ったんだ。神じゃない!≒無神論

③よって我々市民は、神や王を否定する→政治を王室や教会から取り戻す!

④王や教会と言った大きな権力が無くなる→社会の無秩序状態の恐れが出て来る。

⑤約束事(契約)を定め互いにこれを遵守→この上で市民の代表を市民で決める(推薦&選挙)

⑥選出した代表者に様々な権限を与える→代表者は、これらの権限を行使し政治を行う。

⑦一般市民は、選出した代表者の政治を皆で監視する。

⑧ダメな政治、変な政治をしたら→即座に代表者のクビを取り替える(再度別人を選出)。

 

※この思想により起きた歴史的事件→フランス革命🇫🇷、アメリカ独立戦争🇺🇸が勃発。いの一番に神を否定し、人間中心主義を打ち出している点から、革新的思想(リベラル思想)と言っていいと思います。

 

 そう、社会契約説とは、一言で言えば民主主義の根幹を成す『主権在民』、『国民主権』の事を説明したものと言ってもいいかと思います。なので、この思想というのは、現在民主主義国家と言われる国では全て受け入れられている考え、価値観なわけですね。世界の多くの国々の人々が、この価値観を共有出来ていると思います。さて、それに対し国家有機体説とは、一体どういう考え方、価値観なのでしょうか?

 

★国家有機体説とは…

①王権神授説同様、国は神から授かったものとする。→有神論

②国家を生物(有機体)の身体に例えている。→頭=国王、内蔵=官僚、腕=軍人…

③②に基づいて、各身分秩序(社会的成員)は、人体機能の差異によって説明されている。

④各身分秩序(社会的成員)は、各々その特性を社会的役割として果たしている。

⑤ヘーゲル説→『国家とは、個を含む全体であると共に、個の独立性をも許容し、高次の統一と調和を実現する有機的統一体である。』

⑥エドマンド・バーク説→『国家とは、現に生きている人々だけでなく、死者や将来生まれて来るであろう人々との共同体である。』→国家の過去現在未来の連続性を主張→非常に日本的考え

⑦身体の各パーツ(頭、腕、足、内蔵…)は、どれも欠かせない存在である。各パーツそれぞれが互いに調和し合い全体を構成するから。支配、被支配の関係性では無い。

 

※上記の社会契約説と違い、神の存在を認める思想。また、国王の存在も否定しない。上記社会契約説が、一人一人の人間が先に存在し、そうした人々が国を作るのだ、と言った人間中心主義、個人主義的国家観(原子論的国家観)』なのに対し、国家有機体説は、部分(個人)より先に有機体としての全体(国)が存在し、そこに人が居るのだという考え方。いわば、団体主義的な国家観なのだと思います。社会契約説が革新的思想であったのに対し、国家有機体説は、保守主義的思想と言っていいかと思います。

 

 こうして比較してみると、社会契約説というものは実に人間の知性、理性もっと言うと論理整合性に富んでいるように見え、かたや国家有機体説の方は、その真逆、人間の精神性や心のようなものを重視しているように思えます。更に言うと神話とも親和性があるようにも思えます。例えて言うと、日本の記紀神話なんかとね。そうした世界観のように私には思えますね…こうした世界観、国家観が当時フランス革命の嵐が吹き荒れたヨーロッパの中で、フランスのお隣の国ドイツで生まれたというのも、何か因果というか、革命の反動のようなものを感じます。同時に国家有機体説には、ドイツの封建制度の名残り、残り香のようなものを感じます。19世紀半ば、ドイツでもいわゆる市民革命が勃発したようなのですが、失敗に終わったのだそうです。その後ドイツの保守勢力が打ち立てた政治思想が、この国家有機体説なのだとか。当時ヨーロッパで広まっていた自然科学の権威を借りて、生物学との融合を図って出来たようなのです。国家とは、単なる法的組織に留まるものでは無い。文化的多様性を持った歴史的存在としての倫理的且つ精神的有機体、つまりは生命体なのであります。しかしこの政治思想は、欧米に於いては社会契約説ほどは広まりませんでした。フランス革命以降、時代の趨勢は国民主権&民主主義に流れて行ったからです。がしかし、ちょうどその頃アジアにある『或る国』がこの思想に熱視線を送っていました。それが何を隠そう、我が大日本帝国だったのです。

伊藤博文は、帝国憲法作成に大きく関わった人物でした。

 

 徳川幕府が終わり、これに代わり明治新政府が誕生、新生日本が船出となりました。これに伴い国名も改められ、大日本帝国と号するようになりました。さて、ここまでは良かったのですが、ここから課題山積です。先ず、『国の型』いわゆる国体をどうするか?政治はどのように行うのか?憲法は?税制は?等々です。この時新政府内では、日々喧々諤々色々と議論があったようなのですが、その中の一人伊藤博文が、この国家有機体説に着目します。で、自身も以下のような図式を表して熱心に研究し始めます。

 近代国家として歩み始めた日本にとって、手本とすべきだったのは、やはり欧米列強の国々でした。で、当時の欧米に広まっていたのが民主主義的思想だったわけですが、伊藤個人は何とも言えない違和感があったのではないでしょうか?何故かと言うと、ここにはいわゆる『天皇』という存在は無いからです。もし仮に日本に天皇という存在は無く、国民だけしか存在して居なかったら、伊藤は躊躇なく民主主義思想を取り入れたでしょう。ですが、我が国には、二千数百年来の御存在、天皇が座すのです。この御存在を無視して国体を定める事は出来ません。渡に船と言いますか、彼はこんな状況下で国家有機体説と出逢うわけです。彼は、これを熱心に研究。我が国に古くからある、古事記、日本書紀の記述とも比較、検証します。結果、この思想が我が国に最もフィットしていると判断。この思想を取り入れ、我が国の国体を、近代日本の国体を決定し、同時にそれを形として表し、国の内外に知らしめる為、憲法の作成、大日本帝国憲法の作成に着手します。この時、帝国憲法作成メンバーの中心人物が、当時天才官僚と謳われていた、井上毅という人物でした。井上毅は、官僚でしたが、いわゆる『伊藤派閥』の一員で、伊藤とは大変親しい間柄であったようです。

九州熊本出身の天才官僚、井上毅

 

 これは、現在でもそうですが、国の憲法というものは、その序文又は最初の部分でその国の『国体』を謳います。つまり、『私たちの国というのは、こんな感じの国なんですよ』という事を簡潔明瞭に記しています。以下に例を幾つか挙げてみましょう…

 

①アメリカ合衆国🇺🇸→アメリカ合衆国憲法前文

→『我ら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、我らと我らの子孫の上に自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国の為に、この憲法を制定する。』

 

②フランス共和国🇫🇷→フランス共和国憲法前文

→1789年フランス人権宣言と1946年第四共和国憲法を踏まえ、『自由、平等、友愛』の精神及び『他国征服を目的とした戦争、武力行使の禁止』を謳っています。

 

③ドイツ連邦共和国🇩🇪→ドイツ連邦共和国憲法前文

→『神と人間に対する自らの弁明責任を自覚し、統合されたヨーロッパの中で平等の権利を有する一員として、世界平和に貢献しようとする決意に満ちて、ドイツ国民は、その憲法制定権力により、この基本法を制定した。…』

 

さて、これに対し、現行の日本国憲法では、我が国をどう表しているでしょうか?我が国の国体を内外に対し、どう説明しているのでしょうか?以下にご紹介します。

 

★日本国憲法前文

→前文に於いては、長々と謳ってありますが、纏めると、要するに①国民主権、②戦争の放棄及び恒久平和の念願、③国際協調主義であると言えるでしょう。で、ここには天皇の事は一言も出て来ません。天皇については、次の憲法第一章第一条に記載があります。

★日本国憲法第一章 天皇

 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 

現状では、このようになっています。これに対し、伊藤博文たちが作成した大日本帝国憲法では、大日本帝国の国体をどのように内外に言い表していたのでしょうか?

 

●大日本帝国帝国憲法前文→いわゆる前文は、三部構成になっています。

①告文:コウモン→我が国の皇祖神に対し、この憲法を作成した経緯を説明した、神への説明文

 

②勅語:チョクゴ→『国を上手く統治する為に、今回憲法というものを作りました。私天皇も今後頑張るので、国民のみんなもしっかり協力してね。そして、歴代の天皇がやって来られたように、僕ら(明治天皇と日本国民)も『天皇と民による、君民共治』をしっかりと頑張りましょうね。私(明治天皇)にとっての最高の喜びは、国家の発展と国民の繁栄です。これを達成する為に、今回帝国憲法を制定した次第です。

 

③上諭:ジョウユ→『今回、国民の福利増進の為に、憲法を作りました。皆さん(国民)の財産、権利は、この憲法で保障されています。それぞれの国務大臣たちは、天皇が色々な国家的意思決定する時は、しっかりと力を貸してくださいね。これは、あなた方の責務ですよ。そして、国民の皆さん、みんなも君民共治という形で私(明治天皇)と共に、国を統治して行きましょうね。これは国民の皆さんの責務でもあるのですよ…よろしくね、国民の皆さん。』

 

 なにせ、原文は現代日本人には大変わかりにくい文体、文章でありますので、現代語で且つ非常に分かり易く書き直してみました。全体の大意はそう大きく間違っていないと思います。で、纏めると大日本帝国憲法で言う大日本帝国の国体とは、私は、『君民共治』の国家であると思います。民主主義でも無い、かと言って共産主義でも無い、天皇と民との共同統治の国、それこそが我が日本国のあるべき姿だ、と謳っているように思いますが、読者の皆さんは如何ですか?それにしても凄いというか、他国と比較して大変特徴的なのは、先ず最初に『神』が登場する事です。明治天皇が皇祖神に対して、今回の経緯を御説明されるなんて、他国には例を見ません。一番近いのが、ドイツかと思いますが、この辺りは私はある意味凄いなと思います。いずれにしても、原文を読んで感じた事は、大日本帝国憲法では、天皇は決して独裁的支配者では無いという事。天皇は、少なくとも明治天皇は、民に大変御心をお配りになる存在であり、国がそしてなによりも国民が豊かに繁栄する事を第一にお考えだったという事がよく分かります。全くもってここにも太古より引き継がれた『シラス国』の伝統が生きています。個人的には、素晴らしい『国体説明文』だと思います。悲しい事ですが、これと比較すると、現行日本国憲法のソレが霞んで見えてしまいます。力強さが違います。大日本帝国憲法の方には、我が国の神への信仰心、君民の協力体制が誠に力強く謳い上げられていると思います。因みに、私が子供の頃の学校教育なんかでは、教師たちが戦前は天皇が絶対であり、あたかも専制君主のような教え方、話し方で天皇を説明していた事を覚えています。それでも私コーネリアスが、そうした学校教育にいわゆる『洗脳』されなかったのは、亡父の家庭での教え、またその亡父に大きな影響を与えた、旧帝国陸軍将校であった大叔父の存在があったからでしょう。今思えば、私はこんな家族の下に生まれてホッとしている次第です… 

 いずれにせよ、この大日本帝国憲法を見た、欧米知識人や政治家たちは、『あっ、日本って国は、ヨーロッパで言うドイツの国家有機体説に基づく国のようだな…なるほどね。』と一応の理解を示したんではないでしょうか?個人的良し悪しは別としてね。