こんにちわ。皆さんお変わりありませんか?コーネリアスです。今回は、前回の野鴨の寓話の続き、続編です。さて、このキュルケゴールの野鴨の寓話を会社の人材育成のスローガンに引用している、あるとても有名な会社がアメリカにあります。それが、かのIBMなんです。引用した人は、IBM二代目会長、トーマス・ワトソン,Jrです。創業者トーマス・ワトソン,Srの長男です。

IBM二代目会長のトーマス・ワトソン,Jr 

 

★トーマス・ワトソン,Jr の言葉『Be Wild Ducks!』(常に野鴨であり続けろ!)

『ビジネスには野鴨が必要なのです。そしてIBMでは、その野鴨を飼い慣らそうとは決してしません!』

 1959年、IBM社二代目会長トーマス・ワトソン,Jr は、上記の言葉を会社の社員教育のスローガンに掲げました。本来は、野生の渡り鳥である野鴨も餌を与えられ続け、甘やかされると、しまいには空も飛べなくなってしまい、それが元で悲劇的結末を迎えてしまう、という先のキュルケゴールの寓話からの引用です。ビジネスにおいては、どんな時も困難に立ち向かう精神が必要で、我がIBMの社員には常に渡り鳥であった時の強くて逞しい『野鴨』のようであって欲しい。常にチャレンジ精神を忘れないで欲しい。と述べています…これを言い換えると、『自立した社員のシンボル』として、WILD DUCKS、野鴨を扱っています。

 確かに正しいですね。ビジネスなんかはそうですが、仕事が安定して来ると得てして楽な方に走りがちで、業務の改革、新しい技術革新なんかも疎かになりがちですからね。そうなると確実に発展は見込めない。企業としては、目に見えない衰退が始まるわけです。ところで、ちょっと横道にそれますが、このIBMという会社は、会社のスローガンというか、いわゆる社是みたいなものが好きな会社のようで、創業者のトーマス・ワトソン,Sr もスローガンを掲げていました。それが、『THINK』です。思考停止するのではなく、どんな状況に置かれてもしっかり『考えなさい』というものです。この『考える』という事が結果どのような事を生み出すかにについて、トーマス・ワトソン,Sr 自身がある講演会で語っています…『…他人が不可能だと言っている事に着手する人間は、発見をし、発明を生み、結果的に世界を進展させるのです。』現代経営学の祖として名高い経営学者のP・Fドラッカー博士は、その著書の中で、『世界に数ある優良企業の中で、ある2社だけ非常によく似た会社がある。それがアメリカのIBMと日本の松下電器だ。両社とも、しっかりとした会社の経営理念、社是があり、それを社内で撤退させている。従業員の質、会社の社風も大変似通っている。そして何よりもよく似ているのが両創業者の学歴だ。2人共、大学はおろか小学校すらまともに出ていない。松下幸之助氏の場合は、父親が事業に失敗し、一家離散。松下幸之助氏は、身売り同然で大阪に丁稚奉公に出され、幼くしてビジネスの世界に投げ込まれた。また、トーマス・ワトソン,Srの場合も地元の小学校に馴染めず退学し、幼い時から、実家の家業(農業)を手伝ったり、知人の商店の経理を務めたりしていた。その後とある楽器の行商人と出会い、彼の元で行商の見習いとなる。その後独立し、一行商人、セールスマンとして生きて行く決意をしている。共通しているのは、共に幼い時から厳しい大人の世界、ビジネスの世界に入ったという事である。』…この両ワトソンの『親子二代』にわたるIBM社員に対する『教え(Think & Wild Ducks)』は、現在でも脈々と受け継がれているようです。因みに、私コーネリアスも以前松下グループに属していましたが、松下では、『サラリーマン』という言葉を嫌う傾向がありました。研修所でも、『貴方は一サラリーマンじゃないよ。一商人だよ。松下という大店から仕事を紹介してもらっている一商人だ。だから、貴方には自分の食い扶持を稼ぐ義務があるんだよ。利益を上げないと貴方の居場所は無いのだよ…』とね。この教えはある意味大変厳しいものですが、私には大変役に立ちました。後のファミレス店長になった時にね。つまり、『飼い慣らされる』というのでは無く『自立しろ』という事ね。ビジネスの世界では、誰もお前を助けてはくれないぞ、という事。甘ったれんなよ!という事ですね。

Think(考えろ) をIBMの旗印にした創業者トーマス・ワトソン,Sr 

 

 さて、このようなキュルケゴールの野鴨の哲学なんですが、私はどうかというと、これを初めて読んだ時、私は現下の日本人の状況を、いの一番に思い浮かべました。先の大戦が終戦し今年で77年になりますが、この77年間戦争も大きな紛争も無く間違いなく我々日本人は『平和と豊かさ』を享受して来ています。でも、それで良いのかな?このまま『平和と豊かさ』を甘受し続けていて本当に大丈夫なのかなとね。この状況は、永遠に続くのか?とね。だからと言って、別に私は戦争をやろうとか言ってるわけでは無いですよ。ただ、キュルケゴールが言ってるように、毎日ぼさーっと生きてたら、ある日突然想定外の事態に遭遇した時、何一つ対処出来ず、あの野鴨たちのような悲劇に見舞われる可能性が高いと言いたいのです。そう言えば、ユダヤ教のタルムードの中に、『平和で豊かな』時にやるべき事という教えがあります。それが、いずれ必ず来るであろう『苦難』に対する準備だそうです。平和時、何事も無い時にこそ、その真逆の時の事を想定して準備、備えをすべしと教えています。もしこれが飢饉なら、充分な食糧の備蓄をする為食料自給率アップを、何処かの国が侵略して来そうなら、それを阻止する為、最新鋭の兵器を揃え国防力アップに尽力をという事です。何よりも、戦いにならない様にその前段階の外交交渉力をアップさせなければなりません。いずれにしても、戦争を防ぐには相手が戦う気になれないような環境を作る事が肝要でしょう。そうすれば初めから戦争なんて起きないわけですから。実は、これ、我が日本国は過去にやった事があるんです。秀吉政権下です。当時『無敵艦隊』を持ち、その海軍力で世界中に植民地を持ち隆盛を極めていたイスパニア帝国は、フィリピンを植民地化した後、密かに日本征服を目論んでいました。がしかし、彼等は我が日本国と戦う事も無く、その計画を中止し、日本征服を諦めました。その理由は、当時の日本国の軍事力が彼等イスパニアよりも圧倒的に上だったからです。日本の鉄砲の所有数は、全国合わせ約6万丁、これは当時のヨーロッパ全土の所有数に匹敵。更に兵士の質の差。日本には戦う集団として、武士たちが居ましたが、いざとなれば死をも恐れぬその戦いぶり、技術を見た当時の宣教師たちは、イスパニアの兵士たちは彼等の足元にも及ばないと、本国に手紙を送っています。こんな事絶対に学校じゃ教えないよなぁ…宣教師たちの手紙という証拠がバチカンアーカイブスから見つかっているのにね。つまりバカ強かったんですよ、秀吉時代の日本国は。個人的には、その強さ、世界一だったじゃないかと思っています。世界一の軍事大国日本が其処にあったわけです。今からは想像もつかないですけどね。少なくとも海外からはそう見られていた、そう評価されていたんです。いずれにしても、肝要なのは『ある一定の力』を持っている事です。そしてそれは、何も軍事力だけとも限らないわけです。政治力、経済力、外交力そうした力を保持している事が大事で、そうした力を持っていれば、相手は攻めて来ません。こういう力の事を抑止力と言うのでしょうね、多分。だから現代に生きる我々もここを考えないと。様々な分野に亘って力を付けないといけないと思います。そしてこれについては一人一人が真摯に考えて、意見交換し合い、最終的には『国民の声』としてまとめ上げ、政治家たちを動かさないといけないでしょうね。それが民主主義というものだと思います。そして同時にこの姿こそが、『シラス国日本』の神話にもある古来よりの伝統でもあると思うのです。

 

 最後に、平和と豊かさについてとても辛辣な格言を残している、イギリスの過去の偉人がいます。大変参考になったというか、この野鴨の哲学にもピッタリくる言葉だと思います。以下の言葉です…

 

★平和と豊かさは臆病者を作る。苦難こそが強さの母である。    ウェリアム・シェークスピア