こんにちわ。皆さんお変わりありませんか?コーネリアスです。今回は、歴史教育というものについてお話したいと思います。先ず、これは個人的な『意見』なのですが、歴史教育について真実の歴史教育というものが存在出来るのか?という事です。歴史にも当然真実はあると思います。なので、歴史教科書に真実を記載すれば、何も問題はありません。ですが、我が国の特に現代史などを見ると、そうなっていないのが実情です。例えば、韓国の慰安婦問題。これなんか、結局元を糺せば、朝日新聞社の一記者のでっち上げ記事が原因ではないですか。その証拠に朝日新聞社はその後お詫び記事を後日掲載しています。つまり、歴史上の真実では無かったという事ね。それなのにですよ、学校の教科書には、慰安婦問題について堂々と記載がされており、子供たちはそれでいわゆる日本の現代史を学んでいたわけです。これ嘘の歴史ね。これ大問題じゃないですか?誰が責任を取るんですか?なのに、この時世間は全然騒ぎもしない。フェークニュースもここまで来ればもう犯罪に近いものではないですか。一時的にも日本の国益にも影響したでしょうし。ハッキリ言ってですね、こんなんなら、僕は学校で歴史教育しない方がまだ良いのでは、とも思う次第です。だって、次世代の日本の若者たちに嘘の歴史を教えている事になるので…日本の歴史については、これは今後国民各人が自分自身の力、判断で情報ソースを厳格に選別し、一人一人が自分で学ぶというか、個別に学んで貰うというので如何でしょうか?歴史について、その真実を語るというのは、大変難しい事なので、学校でも無理かもしれない。でも、国民一人一人歴史について、いわゆる『意見』を持つ事は可能である。私は、こう考える次第です。そう、あくまで『意見』で良いと思います。

 考えてもみて下さい、いわゆる歴史について本当の真実が語れるのはその時の当事者のみではないのですか?外野の人間は事の真相、真実なんてのは分からない筈です。しかしながら洋の東西を問わず、歴史書なるものを書き上げるのは、いつもその外野の人たちです。ですから、完璧ではない筈なんですよ。人がする事だから、勘違い、間違い、なんかもあり得るわけですから。例を挙げると、足利尊氏画像、これなんか僕は学校で、これは足利尊氏であると習ってきました。ですが、今はこれは違う。実は、後日判明したのだが、これは足利尊氏では無く別人だ。という事が起きたり、別の例では、源頼朝画像。これも僕の時代は学校で、これは源頼朝であると習ったにも拘らず、後日、あれも実は違う、別人の可能性があるとなるわけです。

僕の頃の教科書では、足利尊氏でしたが…

 

この人も源頼朝であると教わったんですけど…

 

 そもそも、学問の世界でこんな風にコロコロと内容が、それもとても大切な部分が変わって良いものでしょうか?数学や物理なんかでは、余程の事が無い限り起こり得ない事です。なので、僕は歴史という学問はそういう意味でかなり特殊な学問と言わざるを得ない。従って、この際学校のカリキュラムから外し、同時に受験科目からも外した方が良い。当然ですが、国家公務員試験と言った国家試験からも外した方が良いと思います。ここまで述べてきた僕の主張を纏めると以下の通りです…

★歴史科目は公教育から外すべき

理由→真実が語り難い学問であるから。今の教科書に記載があるものも、あくまで、その教科書を作った人たちの『意見』であり、真実とは言い難い為。作成者の『意見』で歴史を教育すると、その時点でそれは真実を追求する学問というより、作成者の思想を学ぶ事となってしまう為。

 

 但し、僕は歴史という学問を全否定する者ではありません。歴史という学問はある種とても大事な重要な学問であると認識しています。でも、だからこそ『嘘』があってはならないのです。なので、繰り返しになりますが、個々人が自分で、自分の信じる確かな情報ソースから学べば良いというわけです。そしてそれをいわゆる『教養』として身に付けていれば良い。哲学なんかはそういう意味で良い例かもしれません。哲学は現在授業科目にはありません。また、受験科目にもなってはいません。そう、学校では哲学は教えませんね。高校の倫理か何かでちょっと触りのみを扱うくらいです。でもね、僕の経験から言うと、社会に出て成功してる人、出世して上に登りつめている人に共通しているのは、必ずと言っていいくらい自分なりの哲学を持ち合わせています。多分自分で何らかの学びをしているはずですよ、そういう人たちは。独学というか、自己啓発というかね。この際歴史もそうした哲学なんかと同類に扱っては、と考えるわけです。僕は、人それぞれ信じるものが違うと思います。僕のように聖書の神を信じる価値観を持つ者も居れば、仏の教えを信じる人も居る。また、無神論者の人も居る。保守的な思想の人も居れば、共産主義的思想の人も居ます。そうなるとどうなるかというと、いわゆる『世界観』が変わるわけです。で、この『世界観』の違いというのは、『歴史観』の違いと繋がってきます。そうなるとですね、一人一人微妙に違った歴史観を持っている事になると思うのです。例を挙げると、僕の歴史観とウチの奥様のそれも若干ですが違います。僕と息子も違います。そうした事は、日々色々話していると分かってくるものです。こうしたものを、公教育で一つにしようというのが、僕はそもそも無理があるように思えます。

★歴史という学問の特色

→歴史という学問は、人の思想、生き方また、政治的なものとも繋がり易い。影響を与える可能性もある。その為にとても重要な学問だと思います。なので、個々人で自分が信じたい『意見』を各人で取り入れる方が良いように思えます。他人に強制されるので無く。その為には、自分も多少ですが汗を流す必要もあるかもしれません…何故なら、少しでも真実に近づく必要があるからです。真実に近づく為には、それなりの努力が必要だと思うからです。

 

最後に、先日ネット動画を見ていて見つけた興味深い動画をご紹介して本blogを締め括りたいと思います。ちょっと長い動画ではありますが、戦後日本史を語った動画です。もしかしたら、読者の皆さんの何かの参考になるかもしれません。