こんにちわ。皆さんお元気ですか?コーネリアスです。今回は、先日たまたまTVで見かけた事をテーマにしてみたいと思います。

橋下徹氏 弁護士でもある彼は誠に弁舌巧みなのですが…

 

 今、ヨーロッパではロシアとウクライナの間で戦争が勃発しています。この戦争について、先日元大阪府知事の橋下徹氏の発言がちょっとした物議を醸しているようです。TVで、ウクライナ出身者との対談で、橋下氏は、『祖国防衛。そこで命を落とすんだって状況になってしまうと、国外退去する事が恥ずかしい事だ、やっちゃいけない事なんだ、売国奴なんだって言う批判を恐れてしまう。どれだけのウクライナ人の命が失われるというのか。』…つまり彼の弁によれば、ウクライナは下手にロシアに歯向かって戦うのでは無く、とっとと降伏し戦争を止めさせろ。ゼレンスキーは自国民の命を最優先しろ、とこう主張したわけです。個人的に言わせてもらえば、橋下氏のこの発言、全く理解出来ないですね。だってそうでしょう。世界中探して何処にそんな国あるでしょうか?敵が一方的に侵略して来たのに、『ボクたち平和主義者なので、戦争はしません。ボクたちの国が欲しければ、どうぞ…』こんな事言う人たちの国。普通に考えれば、一方的に侵略戦争仕掛けられれば、そりゃ当然戦いますよ。自分たちの国の主権が侵害されているんだから。それに仮にその侵略者に征服されたとして、その後その国の国民はどうなるのでしょうか?今までのように普通の日常生活が営めるのでしょうか?普通に考えれば無理ですね。だから戦うんですよ。橋下氏の今回の発言は、その本当の真意が私はよく分かりませんが、字面だけ、額面通り受け取るとすると、彼は国際感覚、国際常識ゼロな人ではないでしょうか?今回私は完全に呆れました。このような人をコメンテーターとして起用しているTV局も大問題でしょうね。止めて欲しい。だって、我々日本国民の財産である『電波』を利用してでの所業ですからね。このTV局の責任者の方はよくよく考えて人選をした方が良い。でもまあ、個人的には橋下氏がちょっとおかしな思想の持ち主であった事は、彼の言動を通して数年前から薄々分かってはいましたが…当初は保守派の代表的な論客的に振舞ってはいましたが、最近の氏の発言は多くの違和感を感じます。彼と意見を戦わせていた、ウクライナ人の主張の方がとても常識的、当たり前に聞こえました。真の愛国教育を怠るとこんな思想の人が平気で現れる良い例です。因みに海外ではちゃんとやっていますよ。自国の愛国教育。やっていない国の方が私は少ないと聞いています。外国人の友人からね。嘘だと思うなら、話してみて下さい、外国人と…

 ごく当たり前の話ですが、誰だって戦争なんてイヤなはずです。それでも起きてしまうのが、悲しいかな人の世です。どうして戦争が起きたら、皆戦うのでしょう?橋下氏が言うように、『戦わない』選択があるにも拘らずです。私はそれは、究極『大事なものを守る』為だと思います。命をかける価値があるものを守る為です。例えばこの日本なら、この美しい国土、美しき伝統、そして何よりも愛すべき我が家族、同胞、その同胞たちとの素晴らしい『普通の生活』です。仮に彼の言うように戦わない選択をした場合、これらのものは、その相手国の好きに変えられてしまうでしょう。これはほぼ間違いない。極端に言えば、美しい国土も伝統も破壊され、同胞は皆奴隷化されるという事です。これの良い例が、つい最近の香港です。そしてかのウイグルです。ああなりたいですかという事ですよ。まあ、あれについては確かに中華人民共和国内での出来事ですから、私コーネリアスとしてはあまりコメントする気はないですが…何故なら、確かに侵略戦争ではありませんからね。あの人たちの国の内部のでの事なので…ただ、外から見て好きに言わせて貰えば、やってる事は、いわゆる侵略戦争的で、極めて非民主的と言って良いと思います。このように戦わずして降伏すれば、必ず100%悲劇しか待っていないわけです。こうした事は世界歴史、人類歴史を見渡せば、過去の歴史を学んでいれば、実に明白です。なので、今ウクライナ人たちがロシアと戦っているのなら、それこそが『ウクライナの正義』と言えるでしょう。ただ、繰り返しますが、やはり戦争は良くはない。殺し合いはよくない。ですから、早期に両国間での話し合いで停戦なり、終戦させる事を期待したいです。

 私コーネリアスは、決して軍国主義者でも無ければ、極右でもありません。ここで私が言いたいのは、戦争は絶対に回避しなければならないのだが、それがどうしても叶わない。相手が話に応ずる気配が全く無い。若しくは全く我々と違う価値観を持ち、話そのものが通じない、そうした相手が確実に我々を狙って攻めて来る。ここまで明白な時に、自分たちはどうするか?という事です。こうした状況であれば、私コーネリアスなら、愛する家族、同胞の為に命をかけて戦うべきと考えていますという事です。何故戦うのか?そこに命を賭するに価するものがあるからです。こうした事に関するフレーズを聖書と武士道精神から読者の皆さんにご紹介したいと思います。多少のご参考になるかもしれません。

 

★ヨハネによる福音書15章13節 イエスキリストから弟子たちへの御言葉

『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。』

命を投げ出すのは、人生たった一度きりの事です。しかし、それをしなければ救う事の出来ない困難な状況もあるかもしれない(戦争時等)。故になされる事なのです。

 

★水戸光圀(徳川光圀)公の言葉  現代語訳

『戦場に駆け入って討死するだけなら、とても簡単な事で、おそらく盗賊の類でも出来る事だろう。こういう死に方を犬死と言う。そうでは無く、生きるべき時は生き延び、死ぬべき時に死ぬ事こそが、名誉の死と言う。即ち真の勇気である。』

今ウクライナの多くの人々は、ウクライナ軍を中心に上記の事を『実践』しているのではないでしょうか?自分たちの大切なものを守る為にです…これに対し、降伏というのは、戦わずして逃げ出す事と同じです。私はどちらも悲劇だと思いますが、後者の悲劇は自分たちの魂さえも完全に自滅させてしまう極めて恐ろしい悲劇のように思えてなりません…正しく生きる為に死を選ぶと言う事もあると思うのです。因みに、私コーネリアスは、その覚悟が出来ています。