こんにちわ、皆さんお元気ですか?コーネリアスです。春爛漫となりましたが、同時に僕には嫌な事も始まりました。花粉です。そう私コーネリアスは、花粉症持ちなんです。春は大好きなんですが、これだけは辛いです、ホントに…でも、これも神様からのプレゼントだと諦めて日々頑張って生きて行くしかないのでしょうね…

 さて、今回は人とAI、コンピューターの関係性について語ってみたいと思います。皆さんも御承知の通り、現在AIの分野は日進月歩物凄いスピードで進化し続けているようです。そして気が付けば、そうした技術が社会の彼方此方に登場し始めているようです。目に見える形となってね。この辺りの事は筑波大学で活躍している、学者でメディアアーティストの落合陽一さんなんかの動画を見てるとよく分かりますね。最近時々見てます。色々勉強になって為になります。そもそも僕は、理科系の方はちと苦手であまり良く分からないもので…

AIの発展は目紛しいが…開発現場の思想は…

 

 ただ、そんな中、この前、これは落合さんのじゃないんですが、ある別の動画で言ってた事なんですが、『AIは進化をし、高度化し、徐々に人間に近づきつつある。ケースによっては、既に人間の能力を凌駕している部分もある。』というような発言をした人がいたんですね。これについては個人的に異論があります。確かにね、記憶力とかそういう部分ではそうでしょうね。我々はコンピューターには敵わない。又、複雑な計算を瞬時にやる事なんて僕等人間には無理。そう考えると、動画の主が上記の様な発言をしたくなるのも分かる。でも、よ〜く考えてみましょうね。そもそもですが、我々人間の意識の領域、脳の事については、未だに研究中でまだまだよく分からない事が実に沢山あるのだとか。そう、AIが目指しているところの究極の終着点である筈の人間の脳の事が未だ解明出来てはいないわけです。いや、これは脳のみならず、我々の身体も含めてその複雑性は極めて高いものがあると思います。一説によると、DNAの中には我々の先祖からの情報なんかも、緻密に組み込まれて現在に伝えられているのだとか。

 このように、我々は未だ『我々自信の事』、『我々人間の事』そのものの解明すら出来ていない状況、その途上にある段階で、『AIスゲー!近いうちに人間に追いつくぜ!だからこれからはAI!』的な事言われてもと思ってしまうわけです。考えてみれば、我々が何故コンピューターを開発したか?AIを作ろうと思ったか?究極を言えば、これ僕等人間が『楽する為』でしょう?違いますか?世の中を便利で豊かにする為、という事は悪い言い方かもしれないけれど、楽する為じゃ無いかと思います。それはある意味当然で、人間の脳というのは極めて怠け者に出来ていて、生来怠けよう、楽しようと考える傾向があるのだそうです。この点は多くの脳科学者、医学者の見解が一致しています。そう、人間は生来的に楽が大好きで、楽したいと考える存在なわけです。だから科学が進歩して来たとも言えるわけです。辛い事、きつい事は嫌ですからね。なので、AI開発、コンピューター開発なんてのは、考えてみればその一環なわけで、複雑な計算や、面倒で時間のかかるような事はコイツらにやらせとけ的な思想から僕は生まれたんじゃないかと思いますよ。なんで、あくまで主は人間で、従がAI、コンピューター。この点は神と人間の関係とよく似ているようにも思います。そもそもの属性が全く違っているので、比較するのが僕は間違いだと思います。

主は人、従がAI。これを間違うと変な方向へ…

 

 確かにね、AI技術は人に近づいてはいると思う。けどそれは、AIの技術者である人間が色々研究して近づけているに過ぎないんじゃないでしょうか。そして更に言うなら、その人間である技術者自身も未だ『人間の事』が分かってはいない筈なんですよ。なので、確かに多少は近づきはするが、それはあくまで断片的な部分で人間自身が持つ圧倒的な複雑な領域、未知の領域のほんのほんの数分の1に過ぎないのではと、僕には思えるんですよ。この動画ではそうした事は語らずにいわゆる『AI礼賛』的に動画の主が語っておられたので、私コーネリアスとしては、『ちょっと待った!ちと違うぞ!』と思ったわけです。そもそもね、『AIが人に近づいた』んじゃ無くて、『人がAIに、コンピューター、機械に近づいて』ないかと思ったりもしますよ。例えば、カラオケの採点が出るシステムなんかね。あれ結局どれだけ楽譜通りに歌ってたかでしょう。音痴な人はどう転んでも点数悪いですわ。でもね、歌の良さは楽譜じゃ無いでしょう。少々音痴な歌でも、歌い手の心、想いがこもっていれば、聞く方はその印象が変わるもんでしょう。そうすると我々は『ああ、良い歌だった』なんて思ったりもするわけでしょう。仮に点数が悪くてもね。そもそも歌なんて、我々の感覚に訴えかける行為なんだから、必要ないようにも思いますよ、採点カラオケなんて。因みに僕は全く気にしません。でも、有ればやはり気になって音外さないようにと歌うように、意識するようになるような方も多いのではと思います。何を隠そううちの奥様がそうですから。と言う事は我々人間の側が機械に近づけさせられているようにも思いますが…こうした事は採点式カラオケに限らず、実に多く我々の周りにありませんか?よくある音声案内なんかもね。あれもよく考えれば、そうしたシステムの裏側には確実に担当の人が居るわけで、ああしたシステムを導入する事によって、仕事の効率化、悪く言えば楽を追求しているとも言えそうです。

 これはあくまで仮にホント仮にの話ですが、もし我々人間が、いつの日か我々自身を遥かに凌駕する存在を、なんか新人類のようなものを創り上げる事が出来たならば、間違い無く天国で神様は腰を抜かされる事でしょうね。何故なら、聖書的には神がこの世で創られたものの最高傑作が、何を隠そうこの我々人間の筈なのだから…

天の父の最高傑作=人間