こんにちわ。皆さんお元気ですか?コーネリアスです。本日は、色々な組織の命令に背いて、自分の正義、信念を信じ行動を取った人たちのお話をしたいと思います。命令には色々ありますね。国からの命令、軍の命令、会社からの命令、学校からの命令、役所からの命令…勤め人なら、会社や役所から、学生さんなら学校からの命令が通常多いところでしょう。

世の中には色んな命令があるが…

 

 そもそも各組織は、周りの色々な状況、要因から命令を発したりするものです。今ならコロナ禍に関係するものが多いですね。緊急事態宣言や海外のロックダウンなんかね。で、大抵の人はこの命令というものに従うものですが、世の中には例外も存在するようです。その命令にどうしても納得出来ず、自分の正義、信念を通すという人です。ところで、かつてユダヤ人を救った日本人と言えば、元リトアニア総領事館に勤務していた杉原千畝が有名ですね。およそ6000名のユダヤ人の命を救いました。彼は東洋のシンドラーと呼ばれました。ですが皆さん、この杉原千畝が救った6000名を遥かに超える、約2万人のユダヤ人の命を救った3人の日本人がかつていた事をご存知でしょうか?そしてこの3人が旧帝国陸軍軍人であった事を…彼等は当時の国家政策、外交政策に反して、言い換えれば、お国の命令に反して自分たちの正義を貫き通した人たちです。以下にその事例を記してみたいと思います。

 

★樋口季一郎と安江仙弘、その上司東條英機のユダヤ人救出作戦

樋口季一郎陸軍中将

 

安江仙弘陸軍大佐

 

東條英機陸軍参謀長

 

 第二次世界大戦前夜、ドイツによるユダヤ人迫害を逃れて満州まで逃げて来た約2万人のユダヤ人避難民たちを満州経由で脱出させた事がありました。この時の脱出ルートは、後に『ヒグチルート』と呼ばれる事となりました。これに関わったのが、当時満州に赴任していた、陸軍の樋口季一郎少将、安江仙弘大佐、そして彼等の上司に当たる東條英機参謀長でした。当時この満州国には既に数多くのユダヤ系の人たちが多く住んでいました。彼等は極東ユダヤ人と呼ばれる人たちでした。そんな彼等が1937年12月に満州で第一回極東ユダヤ人大会を開いたのですが、その際樋口、安江両名もこの大会に関東軍オブザーバーとして参加していました。で、その席上で樋口はナチスドイツのユダヤ人政策を強く批判。多くのユダヤ人たちから熱烈な喝采を浴びました。その後、この大会が縁となり、樋口、安江はユダヤ人たちと急速に近しくなり、懇意な関係を保つようになりました。こうした事が伏線となり、その後の大量ユダヤ人脱出作戦が立ち上がったわけです。ご存知のようにその後、ドイツ国内ではユダヤ人の迫害が次第に激化。これに危機感を感じたユダヤ人たちは、国外逃亡を図るわけです。この時有名だったのが、オスカー・シンドラー、ハリウッド映画にもなった『シンドラーのリスト』の主人公ですね。あとは日本の外交官、杉原千畝です。こんな時代、ヨーロッパから遠く離れたアジアの満州でも、それもおよそ2万人という大人数のユダヤ人たちを、それも事もあろうか陸軍の軍人が助けていたというのですから、これも大変な事だと思います。だって当時は日独伊三国同盟があるわけで、軍事的には日本とドイツは仲間だったわけです。その同盟国の政権のやり方に異を唱え、これに反して自分たちの義(人としての正しい事、信念)を通したんですから、誠に勇気ある行動と言えるでしょう。実際、この事実、いわゆる『ヒグチルート』を知ったナチスドイツはヒトラー始め怒り心頭。早速ドイツ外務省はこの件の抗議を時の陸軍参謀長であり樋口、安江の上司に当たる東條英機に入れました。すると東條参謀長は、『我々は、当然なる人道上の配慮により行ったまでの事だ。あなた方から抗議などされる謂れは無い。』とドイツの抗議を一蹴したのだそうです。当然ながら、東條の元には日本本国や他のルートからも抗議や苦情が来ていたと思います。ですが、東條は最後まで自分の直属の部下を見捨てる事なく、いや、それどころか、ユダヤ人脱出を懸命にやっている部下を陰ながらサポートしていたのです。今時なかなかいませんよ…こんな良い上司。なんかこんな姿を見ていると、この3人は理想の上司と部下の関係に思えるのは、私だけでしょうか?いずれにしても、こうして数多くのユダヤ人たちが満州経由で逃亡に成功し多くの貴重な命が救われました。で、ここからは後日談になるのですが、先の大戦も日本の敗戦で終了し、その後開かれた極東軍事裁判いわゆる東京裁判での事です。東條英機が戦争の責任を負わされA級戦犯となり死刑になったのは有名な事ですが、実はこの時終戦時陸軍中将であった樋口季一郎もソ連のスターリンの強い要請により、戦犯に指定されていました。これをいち早く察知したユダヤ人コミュニティーは、世界中のユダヤ人たちを総動員し、陰でロビー活動を開始。世界的規模でいわゆる『樋口救済運動』が展開されました。この運動は功を奏し、当時のGHQ最高司令官マッカーサーをも揺り動かしました。マッカーサーは、スターリンの要請を却下。樋口季一郎を戦犯指定から除外して逆にその身柄を保護したのでした。まさに鶴の恩返しです。今度はユダヤ人たちが樋口季一郎の命を救ったのでした。何故こうした事が起きたのか?実は、満州における大量ユダヤ人救済作戦の成功のお陰で、その功績が讃えられ、ユダヤ人たちによりエルサレムのゴールデンブック(ユダヤ民族に貢献した人を表彰するもの)入りしていたからです。因みにここには安江大佐も入っていました。が、しかし残念ながら、さほどユダヤ人と親交のなかった東條英機の名はありませんでした…でも、何かホントに残念ですね。影ながら樋口、安江を守ってくれていたのに…結局死刑ですからね。全部悪役として戦後に日本の全てを背負い込んでね…印象深い言葉として、旧約聖書にこんな言葉があります。これは神様の言葉ですが、『イスラエルを祝福する者を私(神)は祝福し、イスラエルを呪う者を私は呪う。』…また、新約聖書ヨハネによる福音書第4章22節、有名なイエスキリストとサマリアの女との会話の中では、『救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがた(サマリア人)は知らないで礼拝しています。』…そう、まさに救いはユダヤ人から出たのです。そしてそれは、彼等(樋口たち)がユダヤ人たちを愛したからでした。ハレルヤ!まさにヒグチルートとは、ユダヤ人にとって、20世紀の『エクソダスexodus』と言えるでしょう。