こんにちわ。皆さんお元気ですか?コーネリアスです。今日は、上記のテーマに因んだ話をしてみたいと思います。上の諺、『可愛がっていた相手が、逆に憎らしくなった時、半端なく激しく憎しみが湧く』というモノですね。一番身近なところでは、私の場合、息子や娘です。特に反抗期の時なんか私も激しく憤りましたよ。特に悪ガキだった息子にはね。小さい時はあんなに聞き分けの良い子だったのに…なんて気持ちが沸々と湧いてきてね。同じような経験をされた方も多いんじゃないでしょうか?こんな風に、それまで愛すべき存在、仲間、味方だと思っていた存在が、何らかの理由で意見を違えたり、場合によっては自分の敵になったりした場合、その場合の感情的なモノ、『憎しみ』というのは明らかに倍化するようです…

 

 例をご紹介しましょう。先ずはイスラームとクリスチャンです。考えてみてください。双方共に同じ『神』を信じているのですよ。イスラム教でいう『アッラー』とは、アラビア語で『神』という意味なんですから。なので、本来なら兄弟宗教のような存在のはず。なのに中世ではいわゆる『エルサレム問題』に端を発し、揉め始め挙げ句の果て十字軍遠征まで発展してしまいました。第1回〜第9回まであり、実に約200年間も戦争を続けています。何かもう馬鹿ですよね…そんなに殺し合いたいかと思いますよ、ホントに。お前ら、ホントに神様信じてるのか?神様は聖書やコーランで人に何と教えておられるか読んだ事ないのかと言いたいです。別の例として、これもやはり宗教ですが、イスラム教のスンニ派、シーア派の対立があります。これなんか本来同じ宗教を信じるいわゆる兄弟姉妹同士。『兄弟ゲンカ』みたいなモノなのですが、これがまた酷いのです。互いに自分の主張が正しいと信じ込んでいる者同士である為、これが妥協し合うのは相当困難と思います。特に宗教的対立ですからね…なので、この両派、場合によっては互いに殺し合う事もあるのだとか。常に一触即発の緊張状態にあるのだとか。有名なのがサウジアラビア(スンニ派)とイラン(シーア派)の対立ですかね。本来は大の仲良し、互いに愛すべき兄弟姉妹同士のはずなのにね…共に内情が分かっているからなんでしょうね、憎しみや怒りが倍化するのは。

 

 同様の事は、此処日本でも存在します。一番良い例が革マル派と中核派の対立でしょうね。1960年代日本は全共闘という学生運動が盛んでした。主役は大学生たちだったのですが、いわゆる左派活動で、今と違いとても過激な活動でした。ボクもTVなどを通して記憶してますが、かなり激しかったですね。最近で言うと、昨年の米大統領選で、トランプ陣営が議会へ乱入したという、あの光景なんかやBLMの連中の暴れ方なんかは似てましたね。アレを更にもっともっと過激にしたものです。今の若い方には信じられないでしょうが、この時代の日本の学生、若者たちというのはかなり過激な若者だったのですよ。皆さんのお父さん、おじいちゃん世代です。毎日のように逮捕者報道されてましたからね。

 

で、この中核派と革マル派というのは、革命的共産主義者同盟が母体となり、その後革共同全国委員会という組織が生まれたのですが、その中での議長と書記長の思想の対立から生まれたモノです。いわゆる議長派が、革マル派で、書記長派が、中核派です。で、この両派の対立、抗争の事を内ゲバと言います。様々な点で対立していた両者でしたが、1970年、遂に当時の大学生が殺害されるに至りました。これに端を発し、武装抗争がより激化し、1975年には中核派のリーダーの書記長が暗殺されてしまいました。これなどはホント、単著な例かと思います。これは、作家の佐藤優さんが本で述べていた事ですが、当時は、例えば中核派や革マル派が道で極右団体とすれ違っても、絶対に抗争は、起きなかった。何故なら、相手(極右)があまりに思想が違い過ぎるから、皮肉にもケンカにならない、それくらい互いに理解し合えない、あまりに違いすぎたらケンカも起こせない、争いにならないのだそうです。ところが、中核派や革マル派が道で出会ったら、すぐに抗争。すぐに殴り合いなのだそうです。互いに良く相手の事が分かり合っている、且つ互いに相手が裏切者だと確信しあっているからだそうです。この点は、先ほどのシーア派、スンニ派の例とよく似通っていると思います。そもそもが同じ思想の同士だったわけですからね。

 

 で、この中核派、革マル派と反対勢力極右団体との例を考えると、これはある事に、現代国際政治のある事にとても似通っているというか、応用可能かな、と思う事があります。それが、中国とイランの蜜月関係です。そもそもコテコテのイスラム教国家イラン。アッラーが絶対の国、宗教国家イランと、神を絶対否定する共産主義の国中国がどうして蜜月な関係なのかボクは長い事分からなかったんですが、上記の全共闘の例を見たらなんとなく、そうなのかもと思えてきました。結局彼等は、金の繋がりと、共通の敵である対アメリカ同盟というわけです。互いに心から信頼し合っているわけではないという事。というか、基本思想があまりに違い過ぎる為、互いに理解し合おうとは敢えてせず、そこをすっ飛ばして、単に戦略上手を結んでいるだけの事という間柄なんだと思えるようになりました。こう考えるとスッキリと理解出来ます。

 因みにですが、中東イランの事に言及したので、ついでに言うと、何で中国でウイグル人が迫害されているのに、お隣にある熱烈なイスラム教国家イランが沈黙を保っているのか?同じイスラム教徒であるウイグル人を助けようとしないのか?これも調べてみて合点が行きました。実はウイグル人たちはいわゆる『世俗的イスラーム』で、何というか、とても緩い信仰者たちなのです。ちょうど今の普通の日本人の方々と似ているかもしれません。日本人も特に熱心に何か宗教を信じているという人は現在では少ないですよね。葬式なんかは仏式でやるけどそれ以外ではあまりに仏教とは縁もゆかりも無い。そんな感じのようです。なので、イスラム教シーア派の国であり、割と熱心な信仰を持つイランから見た時、『同じ派閥でもないし、そんなに信仰熱心そうでも無さそうだ。なんと言ってもオレたちはペルシャ人(アーリア系)であるが、彼等は所詮、トルコ人系だ。助ける義理は無い』こうなるのだそうです。おまけにここに中国との金の繋がりもあります。イランは未だにアメリカからの経済制裁の只中ですから、チャイナマネーは渡に船なわけです。また中東では民族の違いも色々関係があるのだそうです。同じ宗教の信仰者でも異民族となれば、意識も希薄になるのでしょう。で、ウイグル人と同民族なのが、近隣のウズベキスタンやタジキスタンらしいのですが、これらの国は助けたくともそれができない状況にあります。何故なら、彼等の国の経済もイラン同様、否それ以上にいわゆる『チャイナマネー』に頼り切っているからです。同族ウイグル人の悲劇を見て見ぬふりをせざるを得ない状況なのです。でも、何か情け無いですね…同民族で、同じく『世俗的イスラーム』であるのに、そこに『金』という現実があるが故に、正義も貫けないなんてね…『人の世の正義』も『金』の力の前には無力という事か…?