こんにちわ。皆さんお変わりないですか?コーネリアスです。今回は、年々失われ行く『日本らしさ』についてお話したいと思います。皆さん、特にご年配の方、最近の世の風潮、世の中の流れ、この日本の様子を見てどう思われますか?何かどんどん色々な価値観が変化しているように思いませんか?ボクが子供の頃から比べたら、雲泥の差です。特に、LGBTから派生する、いわゆる性差別の問題。これに関しては、最近の世の流れはちょっと行き過ぎではないかとも思えるのですが、皆さんはどうですか?私コーネリアスは、例えば男女の違いはあって良いと思いますよ。だってそうでしょう。オギャーと産まれてみたら自分は男だったわけでしょう。これ自分ではどうしようもないじゃないですか。宿命というか、これこそ『神の御計画』なわけで、これに抗ってみたところでどうなるのでしょう?こういうものは素直に受け入れて行くしかないように思えるのですが…だから、男ならいわゆる男らしく生きて行けば良いと思うし、女なら女らしく生きて行けばと単純に思うのです。運命に、神の計画に従うのが自然かなと思うわけです。確かに性同一性障害という事もありますから、この点は十分な配慮は必要かと思いますが、それを除けば、やはり上記のように自然にしているのが一番のように思うのですが…

何でも今では、上記のように『男らしく』とか、『女らしく』なんて言葉も性差別用語だと言われます。公には言ってはいけない言葉のようです(使っちゃいましたけど)。何かそういう風に色々規制されると息苦しいですね、他人から。使う人が相手に配慮して使えば良いだけの事じゃないかなと思うんですけどね。それを、『そんな言葉使うな』みたいに改めて他者から言われるとボクは違和感を感じてしまいます。何か言論統制みたいで…そもそも日本には言論の自由があるわけでしょう。でもこれじゃ、言論に自由ないですよね。LGBTの件について言うと、何か無理矢理に『少数派の意見にベクトルを合わせろ』的なものを感じます。誰もそんな事改めて言われなくとも、分かっているんだけどね…LGBTの人たちは、今の社会のこんなところに悩んでいるんだ。だから、こうしろこの野郎、と言われているみたいです…

 

 最近、ボクは我々日本人がいわゆる『日本的なもの』をドンドン捨てているように思えてなりません。それも今始まった事では無く、これは、明治からのように思います。明治維新で、武士を捨て、着物を捨て、ちょんまげを捨てみたいにね。ま、確かに時代が変化して来ているのだから、仕方ない部分も多々あるのは認めますが、このまま捨て続けていて大丈夫か、とも思います。モノに関しては確かに時代の流れの影響は否めないので、しょうがないかとは思いますが、精神的な部分は捨てない方が良いように思います。古くからある、例えば武士道精神とかね。礼儀正しさや綺麗好きなところとかも、ボクが若い時から比べると、だいぶ変わってきたように感じます。一つには、外国人が増えた事も影響あるかもしれませんね。間違いなくボクが若い時よりもかなり増えてますからね。この辺は、何というかいわゆる『国際化』、『グローバル化』という事なんでしょうか?日本も世界の一員、それもG7の一員です。世界をリードする主要国の一員という立場です。なので、責任と役割がある。それも分かります。でも、見ていると何でもかんでも『国際流』が増え、まかり通るようになってはいないでしょうか?特に、アメリカ発のものが多いですね。

 働き方一つとってもそうです。コンビニはじめ24時間営業という形態が今では当たり前になりました。でも、これ我々日本人にあっているんでしょうか?そもそも人というのは太陽が昇る昼間働き、夜はゆっくり休んで明日の英気を養い眠り、また翌朝から働く。これが基本だと思うのですが、今は逆にシフト制を導入している会社が多いように思えます。かくいう私の職場もそうなんですねどね…当然夜勤なんかもあります。まあ、職種によっては仕方がない部分もあるのは認めますが。また、365日営業も多いですね。大晦日も元旦もあったもんじゃありません。セブンやジャイフルなんかは、基本24H365Dなんですからね。季節感や世の風習、伝統文化、行事、祭りなんかとは大きくかけ離れているように思います。せめて、お盆の三日間や正月三が日くらいは休みにしたらどうかと思ったりもするのですが。ボクが子供の頃はそうだったから。そもそも正月のおせち料理の起源はその辺にあったんですからね。食べ物屋なんかも休むから…これじゃ、おせち料理の有り難みも減ってしまうというもの。で、こうした事の原因を掘り下げて行くと結局、『利益』、『金』というところに行き着くわけです。ちっとは『お金の呪縛』から解き放たれては、と思ったりもします。言いたいのは、盆、正月くらいは皆んな仕事を休んでゆっくりしたら。ご先祖さまと対話したり、神仏に心静かに手を合わせる『時』を持ったらと言いたいわけです。この点、欧米はしっかりやってるように思いますよ。クリスマス休暇です。アメリカもEU諸国も概ね12/20〜1/1くらいまで会社も全てではないですが休みになるようです。日本に例えると盆と正月がいっぺんに来たような感じらしいです。彼等は基本キリスト教文化圏の国々ですからね。こうした様子を見ると、彼等の方が宗教、伝統というものを大切に守っているように思えます。皮肉な事ですが…

 なので、こうした『国際流礼賛主義』は何も今始まった事じゃ無いと思います。明治以降です。なんか何でも欧米由来のものは良くて、古くからある日本的なもの、伝統とかは単に古いとして、決して捨ててはいないにしても、どっか隅っこに追いやるような社会の流れ。そして、これが戦後加速してきたように思います。ボクは、あの『鬼滅の刃』がヒットした裏には、ある種懐古主義的なもの、時代背景もあったように思います。それと伝統的なもの。だって銃で戦うので無く、刃、刀ですよ。日本の伝統的兵器です。それが大ヒットするんですから。作者は巧妙に我々日本人のDNAの中にあるものに訴えかけているように思えました。『日本的なものを捨てるな!忘れるな!』とね…

 なんか思いますけど、こう海外の流儀、思想を追うのもいいんですが、『日本的なもの』を海外に広める。紹介するというのはどうでしょうか?日本アニメなんかは海外でも人気を博しており、今ではある種文化現象です。外務省まで乗り出しています。ブラジルW杯では、日本人サポーターのスタジアム清掃が話題になりました。探して見れば色々見つかると思います。先ずは我々の身近なところを。分からなければ、外国人に聞いてみれば良い。きっと教えてくれるはず。そろそろそういう事も考えて、実行に移してみれば、少しは何かが変わりそうに思えます。長い歴史を持つ国なんですから。最後にイギリスの著名な歴史学者、アーノルド・トインビー氏の言葉をご紹介して本blogを締めたいと思います。実はこの言葉以前も別のblogで紹介しましたが、現下の状況を大変言い当てている名言だと思うので、再度改めてご紹介します…

★アーノルド・トインビーの言葉(滅亡する民族の定義)

『全ての価値を物やお金に置き換え、心の価値を見失った民族は滅びる』