◆第一地域と第二地域の政治史

古代においては、双方共に似通っている様に思えますが、中世から近世にかけて変化が見られる様です。前述した様に第二地域は、基本、多民族の統治となる為、どうしても強力な権力を持つ者が王や皇帝と言った国のトップにならざるを得ない状況です。でないと、すぐにあちこちで反乱、戦争が起きてしまい、統治などままならないからです。つまり、政治制度としては、『絶対(専制)君主制』です。これは、王(皇帝)→土地・国民という図式で、権力者による、土地と国民の直接統治です。権力は全て王に集中させる事となりますので、『中央集権型』となります。

 他方、第一地域はどうだったでしょうか?国によって多少は差がありますが、この地域の多くは、これと違う政治システムを導入した様です。それが『封建制度』です。日本では、鎌倉時代以降が良い例です。図式としては、将軍→大名→土地・国民といった形となり、土地と国民を直接統治するのは、大名という存在です。言い換えれば、トップの将軍は、大名へその統治権を移譲しているとも言えます。当然、その見返りとして、大名は将軍に絶対服従し、奉公するわけです。『御恩と奉公』の関係性です。この図式は、多少の変化は、見られつつも以降の室町幕府、徳川幕府へと継承されて行きました。同じ状況は、西ヨーロッパでも起きており、王(皇帝)→諸侯→土地・国民という形になっています。これも日本の場合と同様で、王が直接土地と国民を統治するのでなく、地方の諸侯に統治権を移譲していると見て良いでしょう。従って、双方共に『地方分権型』であると言えます。尚、日本の場合は、この最高位の将軍の上に、更に天皇という存在がある為、世界的に見ても非常に稀な独自の体制と言えるでしょう。第二地域がこうした『専制君主制』を取らざるを得なかったものの背景に、『ユーラシアステップ』という存在と、そこに住むある特殊な民族の影響がありました…

★ユーラシアステップ(別名:破壊の源)→東は、満州辺りから、西はバルカン半島付近までに至る、東西に帯状に広がる大乾燥地帯の事。ユーラシアのほぼ中央に位置する。ここに住むのが、遊牧民族。

この遊牧民族というのは、特徴として大変好戦的で、強力な軍事力を持つ民族でした。その為、歴史的にその周辺国は、常に彼等との戦争に悩ませられる事となりました。なので、このユーラシアステップの事を、別名『破壊の源』とも呼んでいます。そして、実は彼等の存在が後々、第二地域と第一地域の発展の差異にも大きく影響を与える事となりました。代表的な民族は、西から、フン族、スキタイ族、パルティア、突厥、匈奴、が有名です。ちなみに、確かスキタイは聖書にも登場してきます。第一地域は、地理的にも幸いな事に、このユーラシアステップからは大きく離れている為、歴史的にこの厄介な遊牧民族から影響を受ける事はありませんでした。しかしながら、本来、第一地域でこの影響を受けないはずの、我が日本ですが過去にその影響を受けた事例があります。それが、かの元寇(モンゴル民族)です。しかし、この時は幸運でした。何故なら、時代が鎌倉時代であり、既にこの遊牧民族達の戦闘能力に敵うだけの、ある勢力が国内に居たからです。それが武士の存在でした。鎌倉幕府は、ある意味当時の日本の軍事政権であり、比較的多数の武士が存在しており、且つ、世界的に見ても彼等の戦闘能力、精神性は非常に高いものであった為、この外敵を打ち負かす事が出来ました。この戦争は、アジア圏における、ランドパワーVSシーパワーの初の戦争であり、それに日本が2度勝利した事は、世界史的、地政学的にも私は大変意義があるものと思います。

 さて、こうして日本と西ヨーロッパで取り入れられた『封建制度』下では、民にも以外な自由がありました。それが、蓄財の自由です。民は、ある一定の税を納める義務はありましたが、それさえ遵守していれば、それ以外の富、蓄財については規制はなかったのです。こうした事が後年、このエリアからいわゆる『資本主義』なるものが出てくる基本的土壌となりました。図式化すると、封建制度→富の蓄財→資本家の登場→市民革命(フランス革命)→独裁政治→資本主義の確立→産業革命→民主主義の確立→近代化→現代に至る…という流れです。多少の経過の違いはあっても、第一地域の中世から近現代の歴史を時系列に眺めると、ほぼ一致しています。

 他方、第二地域はどうだったのでしょうか?こちらは、こうした経済的発展は、多いに遅れてしまいました。というのも、先のユーラシアステップに住む遊牧民による戦争、紛争が絶えなかった為です。また、資本主義が生まれるには、ある程度の大規模資本家の存在が必須なのですが、この地域に第一地域のような大規模資本家(商人)が登場出来なかったのが、大きな痛手でした。戦争、紛争が絶えない為、安心して商売(ビジネス)をやれる状況ではなかったわけです。第二地域の多くの国々は、近世に至るまで、絶対君主制を引きずる形となります。その結果、資本主義経済の導入が叶いませんでした。そうした中央集権的政治体制が、後々この地域から多くの共産主義国家を誕生させる素地となりました。

 

◆保守派のシーパワーVS革新派のランドパワー

日本も、イギリスも双方ともに歴史の古い国です。日本は、約二千数百年、イギリスも約千年近い歴史があります。歴史が長いという事は、それに伴う伝統というものを持っているという事です。目に見えるものとしては、遺跡、建築物であり、また目に見えないものとしては、宗教、精神文化、思想等と言ったものです。多少の差こそありますが、概ね第一地域には、こうした伝統というものが息づいている国が多いように思います。『チョット待て、中国なんかは昔の遺跡いっぱいあるじゃないか!論語だってあるゾ!』と言われそうですね…そう、確かに数多く残っています。しかし、それらは、過去の滅ぼされた王朝の消し忘れです。中国の場合、隋、唐、明等々、色々王朝が起きては滅びしてますね、基本的に中国では、王朝が滅ぶと、新王朝は前王朝のもの、目に見える『モノ』もそうでない『モノ』思想、哲学、場合によっては宗教等、全てデリート(消し去る)する傾向があります。なので、私に言わせれば、あれだけの長い歴史があるのであれば、もっともっと多くの遺跡等があってもいいはずなんです。でも、無い…それは、彼等のこうした行為が原因なのです。現在の中華人民共和国もその例外ではなく、かの文化大革命時に、当時のCCP(中国共産党)の目にかなわないと判断されたものは、相当破壊された様に聞いています…考えてみれば、中華人民共和国そのものが、1949年に建国された訳ですから、今年で建国71年目です。あのアメリカよりも若い国という訳です。長い事ほぼ単一民族で国を保ってきた、日本人には、ホントにピンと来ないのですが、中国の場合、約五十数種の民族からなる、超多民族国家なので、王朝の交代も、ほぼこの民族単位の交代なんです。民族が違えば、文化も異なります、なのでこういう風に、『前王朝の遺産の破壊』がいとも容易く出来てしまうのです。彼等に悪気はありません。多民族国家としての宿命なのでしょう…

 中国ほどでは無いにしても、似たような事は、ロシア、インドでも行われている様に見受けられます。また、イスラーム圏、中東地域もそう言えるでしょう。例えば、アフガニスタン。ここは、本来は、仏教国でした。ガンダーラ地方というのがあり、かつて仏教文化が大いに栄え、素晴らしい仏像等が多数あったそうです。ですが、今日残っていません。それは、彼等が仏教からイスラームへ改宗した為でした。イスラームの思想では、ある種極めて排他的で、他宗教を完全否定する側面が大変強いので、改宗したアフガニスタン人は、この素晴らしき遺産を全て破壊してしまいました。もったいないですね…そう考えると、次の様な事が言えると思います…

●第一地域(シーパワー)→単一民族国家が多い→政治体制は変化しても、国そもものは長く同じ民族で継続されている→伝統を守り、継承している→保守派

●第二地域(ランドパワー)→多民族国家が多い→国そのものが他民族に取って代わる→政治、文化全てが別物に変わる→以前の国の遺産等を破壊する傾向あり→伝統を放棄・破壊→革新派

 つまり、『保守』とは、『過去の先人達の築き上げた伝統を、子孫達に継承し守ろうとする事』と思います…この視点から日本を再考すると、我が日本は、イスラエル、イタリア、エジプト等と並び世界でもトップクラスの『伝統継承国』と言えるでしょう。話を現代に移しましょう。今の世界を見た時、以下の様に言えると思います。

★第一地域(シーパワー)→基本資本主義国家が多い→政治形態は多くが民主主義→比較的経済的に潤った国が多い(先進諸国:G7)

★第二地域(ランドパワー)→共産主義国家が多い→経済システムは資本主義制を導入しているが、国営会社が多く、厳密には資本主義とはいえない→第一地域と比べやや貧しい国が多い

 但し、最近では第二地域も特に中国に見られる様に、経済分野では大きく躍進して来ています。残念ながら、我が日本は、長い事アメリカに次ぎGDPで世界の第二位でしたが、今は中国に抜かれ、第三位となりました。これは偏に中国の努力の賜物でしょう。鄧小平以来、日本に習って経済の推進をやった事が結果を結んだ訳ですから…人口も多いですしね。経済的には、世界のリーダーの仲間入りをしたといって良いでしょう。今後は、リーダーとしての自覚と品格を持って世界経済を動かす事に、我々と共に協力して頂きたいものです。心からお願いします…

 と、駆け足で世界の事を、地政学的史観の側面から見てきました。ザックリと見てきましたので、多少は『違うよ』的な部分もあるとは思いますが、大まかにはこの様に流れて来ていると思います。こうして見て来て私が思うのは、やはりネックは、ユーラシアステップです。ここに隣接しているのか、そうでないのかが現在のそれぞれの国の在り方にまで大きく影響を与えています。ですが、これも地理的な事で、我々人間にはどうしようもない事。国はお引っ越しが出来ません。宿命というヤツです。ここで我々人間に問われるのは、与えられた状況下でどうすれば、より良い結果が得られるか…人間の知恵が試されているのでは…と思います。

 

追伸 G7加盟国について…G7加盟国について、地政学の立場から説明すると、以下の様になります…

★シーパワー国家→アメリカ、日本、イギリス、カナダ、フランス、イタリア

●ランドパワー国家→ドイツ

今回は、梅棹理論を中心に説明してきた関係で、アメリカ大陸については、言及出来ませんでしたが、結論から先に言うと、アメリカもカナダもシーパワー国家です。アメリカ大陸については、後日また地政学的観点から、本ブログで説明したいと思います。ここで面白いのは、ドイツです。唯一ランドパワー国家ですが、先進国の仲間入りを果たしています。これについても、話が少し長くなるので、今回は割愛させて頂きます。別の機会に述べて行きたいと思います…宜しくお願いします。