こんにちわ。皆さんご機嫌いかがですか?コーネリアスです。

今回は、ちょっと前に大ヒットしたアニメ『鬼滅の刃』について書きたいと思います。僕が最初にこの言葉を見つけたのは、職場近くのローソンでした。確か昨年の夏頃だったでしょうか。ローソンがコラボキャンペーンか何かしていてそれで知りました。その後、職場の若い衆が色々話題にしていたので、聞いてみると、兎に角面白い、感動するというのです。そうこうしていると、僕の奥様もいつの間にかハマっており、良い話、感動すると言っておりました…それで気になり、ネットで調べてみたり、Amazon primeで観たりしました。1話から観始め、20話辺りまで観ました…確かに良い話だと思いました。劇場版も観てみたいとは思ったのですが、休みの日に色々用事があったりして、結局は観れませんでした。それにしても、コロナ禍の逆境の中、昨年秋から今年の年明け迄の大ヒットぶりは、凄いなと本当に思いました。観客動員数が歴代1位。アニメのみならず同時にコミックの売上も凄く、デパート、JR、各種ショッピングモール等々でも鬼滅キャンペーンを実施していて、或る種社会現象化しており、経済効果は相当なものだなと感じました。また、特徴的なのは、若年層のみならず僕のような年配層もその魅力に引き込まれており、ネット等を見ていると海外の人達にも感動を与え、多くのファンがいるという事です。そうしたいわゆる、一大ムーブメントを引き起こした鬼滅の刃ですが、この作品を見ていて僕なりに幾つかのものを見出しました。あくまで私的な観点、僕なりの世界観なのですが…

 

 1番に思ったのが、この作者、ワニ先生こと、吾峠呼世晴さんという人は、様々な宗教、哲学、思想、文学に明るい方だなと感じました。この人については、ネット情報によれば、僕と同郷のこの福岡の人だとか…なんでも太宰府市周辺在住と言った情報までありました。女性の方らしいが、写真等は一切無くそれ以上の情報は分かりません。謎に満ちた方のようです…余談になりますが、最近ヒットしているアニメの作者は、何故か九州出身者が多いように思います。ワンピースの作者は、熊本の人、進撃の巨人も確か大分の人だったと思います。妖怪ウォッチも福岡のアニメ事務所だったような…で、どれもストーリーがユニークで面白い…あ、ホント余計な事でした。すいません…

 で、見ていて気が付いたのですが、このストーリーには、全編各所に様々な思想哲学が折り込まれています。西洋の騎士道精神、日本の武士道精神、仏教思想、キリスト教思想、儒教思想、更には神道思想です。また、『古き良き家族制度』、『家制度』も描かれています。そして、これらの思想哲学がバランス良く繋ぎ合わされ、観る者に感動を与える展開になっています。特に、場面、場面での『言葉』の選び方が抜群に上手いと思います。また、正義が悪を討つという、勧善懲悪のストーリーにも拘らず、悪の側にもスポットを当て、悪も好き好んで悪になったのではなく、人の世の裏切りや色々な紆余曲折があり、悪となった。生来は、悪ではなく、善であったというような描き方の場面もありました。この辺りを見ると、僕は、旧約聖書を思い出します…堕天使ルシファーの話です。

 では、僕が上記のように読み取った理由を、実際の登場人物のセリフ等を通してご説明しましょう。ここでは、煉獄杏寿郎と冨岡義勇を取り上げたいと思います。先ずは煉獄杏寿郎から…

 ストーリーの設定では、煉獄家は、武家の一族で当然煉獄さんもその末裔という事になっていますが、僕は、煉獄さんは日本の武士というよりも、むしろ中世ヨーロッパの騎士(ナイト)的存在ではないかと思います。理由は以下の通りです。

  ①煉獄→そもそもカトリックの専門用語で他で使用する事はまず無い言葉。

  ②お母さんの名前(煉獄瑠花)→新約聖書のルカ福音書を思い出させる。そもそも欧米系の名。

  ③煉獄さんの風貌/髪型→そもそも武士とは思えない。欧米的に見える。

  ④煉獄さんのセリフ→作中の有名なセリフは、皆欧米の思想、哲学、文学に依拠している。

 

 ①の煉獄についてですが、これは、カトリックの教義の中にある言葉です。カトリックによると、人は死んだら天国か地獄へ行く事になっているのですが、天国へ行く時に直接行ける人は殆ど稀で、通常は、一旦煉獄という所で身を清めその後に天国へ行く事になるのだそうです。かなり端折りましたが…まあ、そんなところです。で、この煉獄で身を清める際に、炎で清めるのだそうです…もうお気付きの方は多いですよね。そう、煉獄さんは火柱でしたね。また、②お母さんの名前、瑠花さんですが、これもどう考えても和風な名前とは言えません。最近ではこういうオシャレなネーミングの方も増えたと思いますが、時代設定は、大正時代です。ありえないように思えます。クリスチャンなら、瑠花→ルカ→聖書のルカ福音書が真っ先に連想されます。本来ルカという言葉ははギリシャ語由来なので、ここでも、キリスト教&欧米に関連してきます。③煉獄さんの風貌、髪型ですが、これはもう見ての通りかと思います。とても和風なイメージは湧かないと思います。そして、④作中での煉獄さんのセリフです。幾つかピックアップすると、

★『老いる事も死ぬ事も、人間という儚い生き物の美しさだ』

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 『命というものは、儚いからこそ、尊く、厳かに美しいのだ』ドイツの小説家トマス・マンの言葉。

どうでしょう…若干表現は異なりますが、全体としては、言わんとするところは同じではないでしょうか?

★『弱き者を助けるのは、強く生まれた者の責務です』煉獄瑠花から杏寿郎への教え。

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  中世ヨーロッパで生まれた道徳『ノーブレス・オブリージュ』と合致する。

『ノーブレス・オブリージュ』→身分の高い者(強き者)は、それに応じて果たさねばならない社会的責務と義務がある、という欧米社会における基本的道徳観。

実は、この思想を背景に英国紳士というのは出来上がったのだそうです。そして、次のセリフが出て来ます…

★『俺は俺の責務をまっとうする。ここに居る者は誰も死なせない!』です。

僕は、こうした煉獄さんの名言の背景にある思想は、キリスト教と騎士道と思います。そしてそれらの名言が絶妙のタイミングでストーリー中で展開されています。見る者を感動させるはずです。何よりも、彼の生き様です。これまさにイエス様の最後と同じです。他者の生命を救う為に、自分の生命を捧げる、です。いわゆる、自己犠牲精神。人間にとって、最も美しい行為とされています。この点は、今回の鬼滅の刃のみならず、1998年上映のハリウッド映画『ハルマゲドン』も同様のものだったと思います。主人公のブルース・ウイリスは、全人類を救う為に自分の命を捧げました。因みに、これも世界的に大ヒットしました。続いて、冨岡さんです。

 

 先の煉獄さんが、洋の典型、騎士のイメージだとすると、冨岡さんは、和の典型、まさに武士のイメージです。理由は以下の通りです…

  ①冨岡さんの言葉使い→言葉の一つ一つが古き良き武士

  ②アニメ版第一話最後での冨岡さん→炭治郎と禰󠄀豆子を助ける→武士の情を観る

  ③お館様に切腹の覚悟を宣言する

①の言葉使いは、見ていれば皆さんお分かりかと思います。②ですが、これは、第一話のラストで、鬼になった禰󠄀豆子を斬ろうとするのですが、必死でそれを庇おうとする兄炭治郎の姿を見て、成敗するのを止め、逆に鱗滝左近次を紹介する。僕は、このシーンに彼の武士の情を見ました。武士の情とは、いわゆる武士道の中にあるのですが、敵に対する思いやりのようなものです。たとえ、命をかけて戦う相手でも、そこに思いやりを持つというもの。相手に対する敬意とでもいうものでしょうか?これが無い武士は、単なる戦闘マシンとみなされ、尊敬の対象とはならないのだそうです。武士道でいう、仁、礼の思想がそこにはあります。更に極め付けが③の切腹の話です。鬼の禰󠄀豆子を成敗しなかった理由を主君であるお館様、並びに仲間である他の柱達の前で、師匠鱗滝左近次の書面をもって弁明するシーン。この時、冨岡さんとその師匠である鱗滝左近次は、禰󠄀豆子が人を襲わないと強く確信していました。それでも万が一人を襲うという悲劇が起きたならば、冨岡・鱗滝両名、切腹してお詫びしますというもの。まさに武士の姿です。

 

当たり前の事ですが、武士という存在は、第一義的には戦う存在です。なので、それを否定、若しくは拒否されると、大変困ります。僕はここからかの有名なセリフ、『生殺与奪の権を他人に握らせるなぁ!』が出たのではないかと思います。いつの世にも、人には命をかけて戦わないといけない時がある。その時は逃げずに戦えというもの。言い換えると、自分の人生を他人任せにして、逃げるのは止めて、辛くても戦え!何故なら、人生は戦いであり、一人一人が自分の人生を守る為に日々戦う者…それが人間という者だから…反省させられます。自分が真にこういう気持ちで人生を送れているかと問われると…実にいいセリフです。

 と、色々作中の登場人物及びそのセリフから、背景にある思想、考え方を僕なりに述べてみましたが、あくまで、僕の私的見解ですので、ご理解ください。細かい事を言えば、炭治郎のお父さん、炭治十郎が、火の神神楽を舞うシーンがありますが、これはとても神道的に思えます。また、鬼殺隊の9人のリーダー達の事を、『柱』と呼んでいますが、僕には、これも同様に思えます。神道では、神様の数を、一人、二人とはカウントしません。一柱、ニ柱とカウントします。

  で、最後になりますが、これは外せないなと思うテーマがあります。それが、『家族』の事です。戦前の古き良き時代の日本の家族制度です。作中沢山出てきます。炭治郎の家族の様子、煉獄さんの家族の様子、終いには、鬼である累の家族の様子等々です。おそらくですが、作者がここで言いたかったのは、戦前日本にはかくも豊かで温かい家族、家庭というものがあり、皆幸せに暮らしていたのだという事。こんな炭治郎のセリフもあります。『俺は頑張らないといけないんだ。俺は長男だから…』というものです。戦前の長子制度を垣間見ます。現在では、あまり通用しづらい考え方かもしれませんが…

ここから僕は、いわゆる『古き良き伝統』というものを、作者は描きたかったのではないかと思うのです。近年、科学技術を中心に世の中は急速に変化し続けています。それと同時に様々に価値観も変化してきています。そんな中、家族のあり様というものも、変わり始めているというのが、昨今の状況ではないでしょうか。また、家族の事に限らず、昔からある、いわゆる古き良き伝統を我々は、大切に守り、次世代に継承しているでしょうか?特に、目に見えないもの、伝統の精神、思想といったものを大切にしているでしょうか?もしかすると、この作者は、この作品を通して、現代の我々にそうした事を言いたかった、気付かせたかったのではないでしょうか? 

 

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まとめ

 で、今回の鬼滅の刃のヒットは、以下の要因によるのではないでしょうか?

  ①魂を揺さぶる名言&シーンの連発→キリスト教、騎士道、武士道、文学等に由来のものが多い。年齢性別、国籍を問わない普遍的なもの。

  ②古き良き時代の日本の描写→現代から見た時に、新鮮さを感じる。年配者は、懐かしさ。

  ③映像の美しさ→アニメ会社さんの努力のたまもの

  ④音楽も良かった→Lisaさんもですが、音楽監督が梶浦由紀さんだったので…この人イイです。

主だったところは、こんなところでしょうか。他にも、細かい事をいえば、多々ありますが、それを語ると長くなるので、今回は、割愛したいと思います。語り尽くせないのです。深すぎて…

 ただ、最後にこれだけは述べたいと思うのが、この『鬼滅の刃』という作品は、我々の子孫達、未来の子供達にも継承したいものの一つだという事です。作中では、確かに殺戮シーンや、残虐な場面等もありますが、そうしたもの全てを含めて、いわゆるテキストのような形で残したい。人とはどうあるべきか?そもそも『悪』とは何か?命とは何か?家族、仲間とはどういうものか?正義とは?善とは?…等々色々考えさせられる内容なのではと思うのです。例えば、道徳の本、教科書を読む感覚で本作品と接してみるのもアリかもしれません…一人一人がこれを読んでみて(若しくはアニメを観て)、頭で理解するのではなく、自分の心がどう感ずるか、が大事なのではないかと思います。

 因みに、またまた余談ですが、この作品を観て、僕は昔のアメリカのTVドラマ、『大草原の小さな家』をふと思い浮かべました…あれも、西部開拓時代、古き良き時代のアメリカの『家族』の話だったので… 

 それと、僕は、このアニメを見ていて思い出した事がありました。それが、『全集中の呼吸』です…実は、私は高校時代剣道部でして、当時の僕の部では、練習前に必ず5分間黙想していたんです。この時の呼吸法が、禅と同じ作法です。これは、顧問の先生の方針で、こうする事によって、精神の集中、平常心が保たれるのだそうです。今思えば、効果は確かにあったと思います…で、最近また始めました。風呂場の中などで…個人的には、良いですよ。心身リフレッシュ出来て…

 

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