私コーネリアスは、この歳になる迄、数回転職をしてきました。大学出て最初に就いたのが、金融関係。次いで某メーカー営業、そして外食サービスです…この中で一番長く続けた職が、外食の仕事でした。今回は、私が経験したこの外食産業の事を、労働条件編、従業員編、お客様編と3部作で語りたいと思います。

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 私が勤めていた会社は、東京に本社がある某大手チェーンレストランでした。色々な食に関する事業部があり、その中で、私はブッフェ形式の店の事業を展開する部署におりました。ホント言うとね、入社当時には、FC展開もやってたんですよ、この会社。なので、私としては、多少の貯金もあったしお金貯め込んで、いずれは独立し、FCオーナーになろうと目論んでいたんですけれど、会社の方針転換で、FC制を廃止したんです…その為、この夢もパーになってしまいました。正直、その時辞めよかなとも考えたんですけれど、また、仕事探しするのも面倒くさいし、まいいか、と思ってそのまま続けた次第です。

 で、ブッフェ形式の店の現場担当となり、一兵卒として勤務を始めました。働いてみて分かったんですが、外食の業界、兎に角人手不足です。パートバイトがなかなか集まらないんですよ。なので、毎日残業。それも、いわゆるサービス残業ってヤツです。ホントはまともに付けてもいいんですよ、そうすれば、残業手当たんまり貰えるので。でもね、そうすると店の人件費がかさみ、最終的には店の収支が悪くなる。下手すると赤字転落という結果になりかねない。そこで、身を削り暗黙の内に店に貢献という訳です…でも、こうしておくと、今度はこれが評価され、ボーナスに跳ね返るので、周りの正社員達は皆こうしてましたね…いい事じゃないと思いますが…ホント、そういう意味では多いですよ、ブラックな会社、この業界。

 

 で、僅か一年余りで店長に就任。最初は、福岡市内の年間売上1億程の店を任されました。それで最初にやった仕事が、いきなりバイトの採用広告を載せる事でした…いや〜人がいない店でした、兎に角休めない!朝8時位から店に入り、仕事終わるのがほぼ毎日12時、1時…本来は、10時間拘束の2時間休憩の実働8時間労働なんですよ。店そのものの営業時間は、午前11時〜夜23時なんですけど…一応週休2日にはなってるんですが、シフト上はね、でも、現実は慢性的な人不足で、ほぼ毎日出勤状態。笑えるのは、このシフト作ってるのが、この私自身ですから…この時は福岡の店だったんで、自宅🏠から通ってましたが、そうこうする内に、転勤の辞令。で、行った先が香川県高松市…その後ここを皮切りに、広島、倉敷、岡山、神戸、奈良、大阪と、中四国、関西地区を転々と…当時下の息子が中学に上がった事もあり、当然単身赴任。約17年間の西日本ドサ廻りでした。基本、大手ファミレス、ナショナルチェーン店は、どこも転勤が多いようです。大体1店舗平均2、3年という所でしょうか。これには理由があって、1店長がずっと同じ店を何年も担当してたらどうなると思います?店長も従業員も関係がなあなあになってしまい、風紀、規律もユルくなりがちになり、最悪は、店長と従業員の不倫とか、店の金の横領なんかが発生し易い、それを防止する為だそうです。なので、ファミレス店長は皆、転勤族。そうなると、奥さんも不満が溜まるので、必然的に離婚率も高いです。私の周りも多かったですね、バツイチの店長。4人いましたから。で、内2人は、子供さんがまだ小さいとかで、養育費を毎月払ってましたね。ホント、ご愁傷様ですって感じでしたよ…

 

 纏めると、①長い1日の労働時間、②休憩時間がまともに取れない、③休日が取れない、④サービス残業の蔓延、⑤何もしない本社です。ここで、⑤を新たに挙げました。少なくとも、私が前いた会社はこれでした。これも個人的にはどうかと思うからです。現場からすれば、弊害です。例えばね、「日本の人手不足」の話なんかは、数年前から国を挙げて騒いでる事じゃないですか。なのにですよ、何もしない…他の会社で、先進的なところなんかは、本社が積極的に動いて、例えば大手人材派遣会社と提携したり、外国人留学生の団体の所へ行って雇用促進図ったり、とにかく色々やってるところもある訳ですよ…現場の為に後方支援するというか、助ける為にね。なのに、何もしない…これ、怒り💢を通り越して、悲しいですよ、現場は…なんか、戦争中に、自国から見捨てられた最前線の兵士の気持ちですよ、コレ…