先月の終わり頃の祝日㊗️23日は、勤労感謝の日でしたね。世の働く者達、労働者に感謝、感謝!という訳です。そう、労働とは尊いものですから…ところで、我々働く者は、その労働に対して、対価を受け取りますね。そう、毎月25日なんかに口座に振り込まれるアレです。お給料とか、サラリーとか言われますが、あれがいわゆる「労働賃金」と呼ばれるものですね。でね、先日私の教会の説教でたまたまこの労働賃金の箇所が出て来たんですよ。チョット驚きました。

 

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 それが、新約聖書「ローマの信徒への手紙」第4章4節〜5節…語っているのは、パウロです。「ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。」…ここでパウロは明確にこう主張しています。働けば、その労働に対する対価、報酬が発生するのは当然で、それは必ず支払われねばならないと。

 思えば、一応私も大学で経済学を学んだ身ですが、労働と対価の関係、いわゆるマルクスの資本論なんかで学んだ覚えありましたけれど、その資本論よりも遥か前にパウロはこう言い切っています。もしかすると、この当時既にパウロ的には、労働=商品であるという資本論的発想があったのかとも思ってしまいます。この頃と言えば、ローマ帝国繁栄の最中で、各地に帝国の奴隷達がいた時代です。当然ですが、奴隷の労働等には報酬、対価は無かった事でしょう。そんな時代に彼は明確にこう言い切ります。なんかパウロのこの言葉に私は新しい発見を見ました。経済書としての、聖書です…

 まあ、パウロのお父さんは、地中海地方の貿易商であったので、そうした環境で育った彼に自然にそうした発想、思想があってもおかしくは無いですけれどもね。でも、意外なのがそれが聖書に書かれていると言う事。宗教の書に明確に記されているという事に意外性を覚えました。

 で、次に「恵み」についてですが、先ほどご紹介した文章の後半で彼が語っています。いわゆるキリスト教でいう「恵み」とは、何か?パウロによれば、それは、神を信じる事です…「その信仰が義と認められます」=無条件で「恵み」を受けるという事。で、この「恵み」とは、何ぞや?これは、例えて言うなら、信仰心の篤い失業者が居て、無職で収入が無いにも拘らず、その人の口座にある日突然、誰からともなく大金が振り込まれていた、みたいな話なんです。ポイントは神様への信仰、これが絶対条件なのですよ。これがここで言う恵みのパウロ的定義です。

 

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 かたや額に汗して💦資本家から得る報酬、かたや信仰心の報酬として神様から受ける恵み。共通するのは、「何もしないでは、どちらも得られない」という事…amen